赤ちゃんが乳児期に、夕方になると泣く黄昏泣き(コリック)。
ある程度の引き金となる原因は特定されているようですが、完全解明されているものではないようです。
黄昏泣き自体は深刻になるものではなく、対策も「抱っこ」というフワッとしたものもその一員なのかもしれません。
該当する子後者割合が10人に1人なのですが、初めてであれば親は心配になります。
黄昏泣きとは、いつ、どのくらいの期間、どのくらいの割合
黄昏泣き(たそがれ泣き)とは、赤ちゃんが夕方から泣くこと。
別名「コリック」、「疝痛(せんつう)」と呼ばれます。
この黄昏泣きは1950年代、小児科医であるMorris Wessel博士の研究によって発表されたものです。
博士の定義では以下となります。
健康な赤ちゃんが少なくとも3週間、1日3時間以上、週に3回以上泣く
生後3~6週間の間に現れる
10人に1人の乳児に見られる現象
黄昏泣きだけであれば深刻な病状ではない
考えられる引き金
・空腹(飢え)
・胃酸の逆流(胃食道逆流症/GERD)
・腹部にたまったガス
・母乳やミルクのアレルギー反応
・げっぷスキルが低い
・食べすぎ
・早産
・妊娠中の喫煙
・未発達の神経
終わる時期は3か月~4か月ころ出典:What Causes Colic?(healthline)
Wessel博士によると、対策は「できるだけ頻繁な抱っこ」。
言い換えると、心配することではないので抱っこしてあげてください、なのでしょう。
黄昏時に泣くので「黄昏泣き」という名称だと思っているのですが、そもそも黄昏は以下です。
黄昏とは万葉集が発祥で日没を指す
「黄昏」とは1日のうちで日没の直前。
この「黄昏」は、映画『君の名は』に出てきます。
作品中で万葉集の歌として出てきた「誰そ彼と」という一番初めの文節(初句)。
この「誰そ彼と」が「黄昏」の由来です。
現実の東京の毎月1日の黄昏時間が以下です。
出典:東京(東京都)のこよみ(国立天文台)
一番、日没時間が一番早いのが12月(1日)の16:28分、遅いのが7月(1日)の19:01分。
その差、2時間33分。
なぜこの日没時間を調べたかというと、黄昏時(日没時間)に大きな差がありそうなのに、黄昏泣きという言葉は妥当か、とどうでも良いことを思いついたからです。
実際には、季節によって2時間半程度の日没時間の差があるので、「黄昏泣きはなんとなく夕方くらい」という意味のような気もします。
また、どうでも良いことつながりですが、夕暮れの薄暗くなる時刻の呼び方として「黄昏」以外に、「逢魔が時(おうまがとき)」があります。
「逢魔が時」は魔に会う、妖怪などが動き出す時間帯という意味です。
赤ちゃんが大人には見えない妖怪(の気配)を察して泣く、というのはファンタジーです。
わが家では黄昏泣きではないですが
わが家の子どもは、生後半年頃に寝入りのタイミングで、1月ちょっと泣いていました。
上述の黄昏泣きの時期に合っていないのですが、当時、僕は黄昏泣きだと勘違いしていました。
わが家の子どもが、一時泣いていた時間は21:00前後。
赤ちゃんを寝かしつけるために、部屋を暗くして、布団に寝かせ僕が横で寝る。
しばらくすると、小さなボリュームでの泣き方から始まり、大人の普通の会話の音量くらいで泣きました。
それがほぼ毎日、約1か月程度続きましたが、いつの間にか泣かないようになりました。
その時の僕の役割は、子どもが横や上に行き過ぎないよう、赤ちゃんの身体を抱くこと。
実際、ゴロゴロする動きが多く、危険回避という意味でも少しでも安心してくれないかという意味でも抱きしめていました。
その行為がわが家の子どもにとって、良かったのか不快だったのかわかりません。
時間は早い時は15分、長い時は30分くらい泣いて、その後ぐっすり寝ていました。
いまの知識で考えると、黄昏泣きではない可能性が高いと判断できますが、理由不明で泣く赤ちゃんの現象ではありました。
さいごに
僕は育児を経験して、「いい加減」がそれ以前より強くなったと自分では思っています。
自分の事であれば、未来予測してだいたいこんなトコが着地点だろうと考えます。
それが赤ちゃんや幼児は、原因不明やその場の流れでどこに転がる分からないことだらけ。
わが家の子どもの寝入り時の泣く行為も、原因不明かつ、なぜ終わったのかも不明。
僕はこうした予測不能を繰り返し経験して、考えてもしょうがない、なるようにしかならない、という生きる知恵みたいなものを以前より強化するようになりました。
子どもが泣いている時間は、抱くこと以外何もできないので、イヤな時間ではありました。
実際、その間は僕は「台風」だと思い込んで、やり過ごしていました。
「台風」に逆らっても意味がなく、基本は過ぎ去るのを待つのみ。
大人側のまとまった睡眠ができない時期とも重なり大変な時期でしたが、いま思い返すと、そんなこともあったなぁという思い出の1つです。