日本人は寄付する人が少なない、というのは思い込み。
3割~4割強の人が寄付しているデータからは、それなりの人が寄付意識があるようです。
年々、寄付率が増加いており、それは少しずつ社会浸透しているようでもあり。
親が実際に寄付し、それを子どもが見て、子どもながらに感じる点もあると思っています。
日本人は寄付する習慣が低いのか
「WORLD GIVING INDEX」という、国別の慈善団体への寄付の情報を集めたものがあります。
「先月あなたは慈善団体に寄付しましたか?」をギャラップ社が各国で調査した結果です。
出典:CAF WORLD GIVING INDEX 2021(CAF)
上記グラフは2021年の結果で、114か国の上位10か国と下位10か国を並べました。
1位はインドネシアで83%。
これはこれで、すさまじく寄付が社会浸透しているといえる数字。
日本は下から8番目の107位で12%。
世界順位では日本は最下位グループに属しています。
現代の日常で寄付するタイミングがどこにあるかと考えてみると。
街中で募金箱を持って立っている人に遭遇すればよいですが、2021年は特にコロナ過で外出機会が減り、人が多いところに行かない。
他に思いつくのが、コンビニのレジ横に設置されている募金箱。
これは身近に寄付する場所ですが、これを寄付と捉えるか、その大半が小銭なので寄付と考えていない人もいるような気がします。
上記の「WORLD GIVING INDEX」は、「先月寄付したか」の結果です。
以下、日本国内での「年間寄付」についての調査結果です。
日本国内調査だと3割~4割強
少し古いデータですが、認定特定非営利活動法人日本ファンドレイジング協会がデータが以下です。
出典:寄付白書(日本ファンドレイジング協会)
グラフは、寄付金額総額(左軸) と名目GDP比(右軸)の情報です。
補足として、2011年の数値は、実際の寄付額から5,000億円マイナスしています。
理由は、東日本大震災の寄付額が5,000億円で、これは一時的なモノとして除外。
グラフを眺めてみると、寄付金額は右肩上がりに増えています。
名目GDP比では、2014年が山の頂上で、2016年は下がっています。
日本の寄付金額総額の、2016年の名目GDP比では、0.14%。
他国と比較すると、2016年アメリカ=1.44%、イギリス=0.54%。
アメリカは寄付が社会に根付いている国ですが、日本はアメリカの1/10、イギリスの1/4です。
出典:寄付白書(日本ファンドレイジング協会)
寄付者数(左軸)と寄付者率(右軸)の情報です。
2011年は特殊な年だったので除くと、どちらも増えています。
2016年の寄付者率は45.4%と、半数弱の人が寄付している。
「WORLD GIVING INDEX」が「先月」、このグラフが「年間」の差です。
出典:寄付白書(日本ファンドレイジング協会)
最後に、寄付者の世帯所得階層別の寄付者率が上記です。
どの階層も近年になるほど、寄付者率が増加。
また、世帯所得が増えるほど、寄付者率が増えています。
この辺りはたいていの人が「そうだろう」と想定範囲内で、お金に余裕がある人はそれなりに寄付している。
どちらかというと、100万円以下でも約3割程度の人が寄付しているのは、人助け意識が高い気がします。
クラウドファンディングは伸びている
先ほど、日常生活の流れの中で寄付するなら、駅などで人が募金箱を持っている状況と書きました。
近年、能動的にまとまった金額を寄付する方法として、クラウドファンディングがあります。
一応、クラウドファンディングとは、以下です。
ある目的のために、インターネットを通じて不特定多数の人から資金を集めること。クラウド(crowd、群衆)とファンディング(funding、資金調達)をあわせた造語。略称CF。防災・災害復興、環境保護、文化遺産の保護・復旧、社会福祉の充実などの社会貢献のほか、科学・芸術・文化の振興、地域や特産品の振興、政治運動、訴訟、特定事業への投融資など幅広い目的に使われている。
出典:クラウドファンディング(コトバンク)
正直、いまのクラウドファンディングは玉石混合と感じられ、明らかにうさんくさい募集もありますが、見ず知らずの人からの集金方法としてのプラットホーム的役割になった気がします。
実際、クラウドファンディングの推移は以下です。
出典:国内クラウドファンディングの新規プロジェクト支援額(市場規模)推移(矢野経済研究所)
ここのところ、やや頭打ち感は出ていますが、グラフ内の点線=近似値線は右肩上がり。
この先、どの程度伸びるのか分かりませんが、ネット社会ならではの寄付手段であり、一定の集金パワーを持っている金額です。
わが家は最近、このクラウドファンディングで、寄付しました。
自己満足だが生きたお金
子どもを持つと、本心からたくさんの人に支えられていることを実感します。
医療、行政関係、児童館、幼稚園/保育園、周囲の大人達、子ども自身の友達。
子どもに随分たくさんの税金が使われることを、僕は子どもを持つまで知りませんでした。
その税金は、納税者の人たちの一部で、社会に支えられていることでもある。
「好意の返報性」ではありませんが、自分の家族や子どもがお世話になった方へ、何かできることはないかという視点を、子どもを持つとかなりの人が意識するのでは、と僕は考えています。
わが家の子どもがお世話になったあるNPOが、コロナ過で助成金がカットされ資金不足になり、クラウドファンディングで寄付を募っていることを、僕の奥様からママ友経由情報として僕は聞きました。
それを聞いた僕は、僕の奥様に「良ければ寄付したいのだけど」と、伝えました。
僕の奥様も異存なく「そういうところにお金が出せる人は出すのが良いと思う」と返答。
意見一致で、そのクラウドファンディングに寄付しました。
僕は、生きたお金を使いたいと考えています。
前提として、お金を使うこと自体にも意味があります。
お金を使えば経済が回り、それはさまざまな人を支えます。
その上で、生きたお金とは、自分を含めだれかが笑顔になるために使うお金。
困っている人がいて、そこにお金を使うならそれには意味があり、相手が喜ぶのであれば理想的。
僕が寄付したクラウドファンディング内に、運営者情報があったので読んでみました。
そこは、基本ボランティアの方々で運営しているが、それでも一定の人件費がかかる。
なんとか、これまで通り続けたいが、このままでは立ち行かない。
ボランティアの人がなぜ、そのボランティアに従事しているかの記載では、ご自身の過去の経験からこれがあったらみんな喜ぶと、多分手弁当に近いレベルで、有志で子ども達を導いてくれる。
お金は、何かをするときに必要不可欠なベースです。
ボランティアの方々は、薄給であってもそこにモチベーションを見出してはいないと想像しますが、組織が立ち行かなくなるようなレベルになるのは、自分達がお世話になった相手として見て見ぬ振りをしたくない。
わが家の子どもにも「わが家はあそこにお金という形で協力したんだよ」と伝えるのも、功利主義的ですが、子どもが寄付を身近に感じてくれる経験になります。
「困っている人がいたら助けましょう」は、子ども達が育つ中で、いたるところに出てくるフレーズです。
さいごに
イギリスの大英博物館の入場料金は寄付制で、お金を支払わなくても入場できます。
正確には、無料でも構いませんができれば通貨は問わないので「5ポンド(800円弱)」相当の寄付をお願いします、という制度です。
大英博物館では過去に入場料を取ったこともありますが、現在は払える人は払ってください、というシステムに落ち着きました。
その意図は、お金がない人でも、文化に触れられる環境を社会全体で作っておく。
お金を支払うタイミングで、妥当と思われる金額を支払う。
そういう場面でケチっても、まわりまわって自分の首を絞めます。
吝嗇も時と場合により使い分けるモノであり、バランスを欠いたやり取りを子どもが見て、それが標準と考えたのなら。
困っている人がいて、その人がヘルプサインを出しているなら、自分のできる範囲で手を差し伸べる。
親が子どもに見本を示す姿は、良い事だらけです。