うまい負け方を身に着けておく

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育児・子供観察

子どもがゲームなどで負けて泣く。
負けん気の強い単なる気質なので、悪いことではなく受け入れつつ、どうやって現実とすり合わせていくかのお話です。
人生で負けは必ず発生します。
うまい負け方を身に着けておくのは、生きやすさにもつながります。

 

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負けず嫌いの大人は約半数

自分が負けず嫌いなのか。
ネット上に「自分は負けず嫌いなほうだ」の大人のアンケートがありました。


出典:自分は負けず嫌いなほうだ(しらべぇ)

このグラフ、子どもではなく大人の情報です。
これを見ていて、自分の体感値に近いとは思っています。

男性は歳をとるごとに、負けず嫌いになっていく(頑固になっていく)。
良くとらえれば、負けず嫌いではないと思い込んでいた人が、年齢を重ねて受け入れられるようになった。
悪くとらえれば、自分が正しいと考え、変化できなくなる。

女性は、自分を負けず嫌いと考える人がどの年代も約半数。
40歳代、50歳代がやや減っているのは、たまたまこの時代の人がそうだったのか、この年代に大半の人がそうなるのかわかりません。
一般的に女性の方が男性より周囲と協調すると思っていますが、男性よりも自分が負けず嫌いと認識しているのは興味深い。

ただ、負けず嫌いが良いか悪いかは別です。
子どもの中で、負けると泣く子がいます。

鬼ごっこで鬼になって泣く子ども

わが家の子どもがある時、近い年齢の子ども達が集まって、鬼ごっこをしていました。
園児年少~小学校低学年の子ども達の集まりで、最年少の子と最年長の子では、走る速度が比較になりません。

それでも、子ども達が集まって、集団で遊びだすと、鬼ごっこやかくれんぼは定番。
自分の子どもの頃も鬼ごっこをしていた記憶を思い出しつつ、いまの子どもも同じ遊びをやっている。
鬼ごっこは、定番というか古典だと再確認しました。

当たり前ですが、幼い子が鬼になりやすく、実際に鬼になってだれかにタッチできずに泣き出すことがあります。
また、タッチされても自分はタッチされていない、と言い張る子。
自分が鬼で終わるのは嫌で、鬼が終わるまでゲームの終了を嫌がる子。

3~4歳で勝ち負けを意識し出し、5歳~6歳で勝ちにこだわる子が出てきます。
そして、負けると泣くなど、自分が納得できない状況を受け入れられない子は一定数います。

ちなみに、上記の年少の子が鬼になって、一向にだれにもタッチできずにぐずりだしたとき、最年長の女の子が「じゃあ自分が鬼をもらう」と言って、助け舟を出していました。
ホッコリシーンでもあり、こういう行為を全員が経験できているのが、親としてはかけがえのない嬉しい状況。

子どもが負けるのを嫌がるのは、その時点の気質で、受け入れるものと僕は捉えています。

勝負経験を積んで勝負勘を掴む

いまの子ども達は、昔に比べ競争しない傾向が強い。
ゆとり教育がその理由に上がりますが、本当のところは分かりません。

自分の周りの若手社会人を見ていると、その言葉に近い雰囲気は感じます。
役職が就きたくない、競争を回避し協調指向が強い。
しかし、これは生き方なので、周囲がとやかく言うお話ではありません。

対し、負けん気が強い子は、なんとか勝とうとしたり、勝てるまであきらめないなど、強味になる素養です。
いわゆる、社会で結果を出す1つのポテンシャルです。

闘わなくても良いを強調する人の意見は、僕は眉唾に聞いています。
自分との闘いも含め、闘いは必要ですし、そこに勝ち負けは発生する。
勝ちにこだわるためにギリギリを責めるのも、結果を求めるなら普通に求められます。

勝負するなら、できるだけ自分の土俵、強味が出せる状況・環境をつくる。
同じ様な勝負でも、漫然と同じやり方を繰り返すのではなく、1回1回の勝負に振り返りをする。

大人になって、周囲に一目置かれる人は、勝負どころを掴んでいます。
10戦して1勝でも、その勝ちが大きければ良いし、その勝ちから次の勝ちへつなげる。
そうして、後光効果もフル活用し、徐々に大きな挑戦ができるようになります。

また、負けは悪いわけではなく、うまい負け方を身に着けておくのと、レジリエンスが重要です。

負けを認め引きずらない

人にもよりますが、一般的に素直に負けを認めるのは難しい。
それゆえ、子どもの頃から負けの経験を積んで、うまく負けられるようになっておくのは、人生の躓きが少なくなります。
「諦めたらそこで試合終了ですよ」は名言ですが、負けて心が折れるのは、本当の負けです。

負けた原因を見つめ、解像度の高い分析し、次回は良い勝負ができる種にする。
あるいは、この分野での勝負は自分には向いていないと、違う場所に移動する。
負けをいつまでも引きずっても、時間の無駄で、次回に生かせるものを抽出して勝負自体は忘れる。
一時凹んでも良いし、回復するための方法も自分の中で確立しておくと、人生は楽になります。

レジリエンスとは

心理学におけるレジリエンスとは、社会的ディスアドバンテージや、己に不利な状況において、そういった状況に自身のライフタスクを対応させる個人の能力と定義される 。自己に不利な状況、あるいはストレスとは、家族、人間関係、健康問題、職場や金銭的な心配事、その他より起こり得る。
「脆弱性」の反対の概念であり、自発的治癒力の意味である。「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」「再起力」などとも訳されるが、訳語を用いずそのままレジリエンス、またはレジリアンスと表記して用いることが多い。

出典:レジリエンス (wiki)

失恋をいつまでも引きずっていた経験がある人が、後年、自嘲気味に必要な経験だったかもしれませんが若気の至りだった、と言うお話はよく聞きます。
告白して色よい返事がもらえなかったとき、一晩凹んで次の日にはスッキリ忘れる人は強い。

うまく負ける

子どもには「勝ち負けではなく参加することを褒める方が良い」という考えがあります。
僕はコレは人が育ちにくいと考えており、一般的な会社では参加するだけでは無意味です。
当然、ハイレベルな状況になるほど、勝ちにこだわらずには勝てません。

勝負すれば、負けはつきもの。
子どもが負けて凹んでいる姿を見て「負けちゃったね。悔しかったね」の同意は、一定年齢までは必要です。
ただ、そこで終わるのでなく「原因はなんだと思う」と次へつなげる。

拗ねているのであれば、放置しておくのも長い目で見て必要です。
自分の感情と向き合ったり、そこから抜け出すきっかけをつかむ経験となる。
子どもの気質に合わせ、うまくヒアリングしコーチングできたら、親として万感のような気もします。

相性が悪い人を指して「あの人はちょっとおかしい」と思うことは、人間はだれしもあります。
そこには自分が「普通」で、自分に正義があると考えている一面がありますが、冷静に考えればそんなわけはない。
ただ、子どもは、自分中心怪獣なので、自分の正義が強いだけです。

人間の性質も含め、子どもと一緒に失敗のお話をする。
子どもにとって、どっしり構えていた親は、頼もしいコーチです。

さいごに

僕は子どもと遊んでいて、通常は子どもがやりたいようにやらせます。
正義が好きなら子どもだったら基本は正義役で、僕が悪者役になるなど。

そして、たまに子どもに悪者役もやらせます。
一瞬嫌そうな表情をしても、できるだけ反対の立場に立たせる。
悪者には悪者の正義があり、それが分かるようになると世界が広がる。

現代のテレビ番組のヒーローシリーズは、登場人物が多く、時に悪者も人間味を出している。
いまの子ども達は、昔に比べ勧善懲悪の世界に生きていないと感じます。