アピールする子どもとアピールしない大人

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育児・子供観察

他人にアピールする。
大人になると少なくなりますが、子どもはしっかりアピールしてきます。
その清々しいくらいの気持ち良いアピールが、いつの間にか大人になるとなくなる。
ただ、実社会では適度なアピールが必要なのは、一定の状況になると分かります。

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子どもの達成アピール

子どもが「見て見て、コレできるようになった!」と寄ってくる。
いままでできなかったことが、自然にできるようになったのか、工夫や努力の結果なのかは分かりませんが、認めてもらいたい自意識の表れで、親としてはとてもうれしいシーンです。

「おー、できてるねー。」と言いつつ、どうしてできるようになったか聞いても、子どもは照れて、そそくさとその場を去る。
あるいは「ひみつー」とはぐらかされる。
羞恥心なのか、言語化できていないので回避しているのか、理由は分かりません。

自分はどうだったのか、記憶をたどっても思い出せず。
ただ、身の回りの子どもや親の話を聞いていても、たいていの子どもがそうやって親にアピールしています。

子どもは自分を作っている最中で、他者依存が基本。
だれかに認めてもらいたい、特に親が最有力で、そこに甘えたい気持ちもある。
そうした積み重ねで、少しずつできることが増えてく。
舞台最前列で子どもの成長が見られる特等席にいる自分を再認識しつつ、人間の成長が見て取れる好例です。

ただ、年齢を重ねると、他人にアピールする人は減っていきます。
青春期・青年期くらいでは、好きな人にアピールはありますが、社会人になってから、自分が所属する組織・会社で、アピールする人はほとんどいなくなります。

日本人は明朗ではない

日本人が自分をどう見ているのかのアンケート結果があります。


出典:日本人の国民性調査(統計数理研究所)

上記は「つぎのうち、日本人の性質をあらわしていると思うコトバがあったら、いくつでもあげてください?」のアンケート結果で、そののうち[明朗][礼儀正しい]の推移です。
この2つの言葉をどうとらえるか、ややフワッとしていますが、自分を[明朗]と考える人は2013年では11%、[礼儀正しい]と考える人は77%です。

自分が[明朗]だと考える人が1割強、考えや想いをストレートに表現しない日本人ならでは。
少し前の流行った言葉「忖度」は、たいていの日本人にはわかる感覚です。
また、礼儀正しいというのも、街並みや人との接し方をみていても妥当。
平均的な日本人像を思い浮かべると、自分を前面に出すのではなく、相手の気持ちも考え、調和点を探す「文化」と言えます。

相手の気持ちを察しようとすると、「No」と言えない面もある。
和と尊ぶとも言えますし、人に嫌われるのを避ける気持ちもそこには存在する。
他人に「できません」「いやです」とはっきり言われたことが、どれくらいあるか考えてみるとその通りです。

ただ、子どもは嫌なものはイヤとはっきり言う時期がある。
嫌いな食べ物が食卓に並んだ時、「いらない」と言って、親の感情を波立たせるのは普通。

そんな子どもも、やがて明確に自分の成果をアピールしなくなります。

自己アピールしなくて良いのか

会社で人事評価していると、アピールする人はマイノリティーですが存在しますが、大半の人は受け身に近い姿勢だと、僕は経験から感じています。

この経験は、大半の人が日本人ばかりの日本国内をターゲットにした企業を指しています。
付け加えると、年功序列が評価の大部分を占めるレガシー評価軸ではなく、実績重視のIT企業、数社です。
ブラックと呼ばれる環境ではなく、安定した組織での経験です。

安定した組織を求めて人が集まるのか、採用側が社風に近い人を採用するのか、入った後にその組織の色に染まるのか分かりません。
ただ、調和が重視されたり、アピールする人が少なければ、結果、控えめな人が多くなる。

この状況下で、上司に対し「自分はこれだけの実績を出したので評価してください」と、詰め寄る人は少ない。
個人的な感覚ですが、1割から多くて2割です。

外資系コンサルのような会社では、猛烈アピールは半数を超えるのかもしれません。
僕がたくさんの会社を知っているわけではないので、一般論とは違っているかもしれません。

結果を残した人でも、自分の成果を主張せず、淡々と客観的数値報告のように評価面談で話してくる。
これを奥ゆかしさとも取れますが、個人的には「アピールする人」が、現実的な果実を得やすいと思っています。

学校教育と実社会の乖離

「自分は〇〇がやりたいです」と言い切る。
前提に一定以上の実績が必要ですが、それを聞いた側には、楔のようにその言葉が刺さります。

仮に〇〇案件が発生したら、言い切った人の名前が、真っ先に頭に思い浮かぶ。
〇〇ではなかったとしても、積極的な姿勢を考慮し、違った案件でもその人を指名する。

手を挙げた人に常に、チャンスが周ってくるとは限りません。
案件を割り振る側との相性が最たる例ですが、控えめな人にも公平に割り振りたい上長であれば、思いは達せられないかもしれません。
一番良いのは、上長や周囲のパーソナリティなども考慮し、戦略的にアピールすることです。

アピールして、新規案件に抜擢され、そこで結果を残す。
結果を積み重ねると、徐々にやりたいこともでき、周囲からも一目置かれ仕事や進めやすくなる。

学校では戦後の「横並び」教育から脱し切れておらず、アピールを重要視していません。
しかし実社会では、競争が当たり前。
このルールの違いを子どもに伝えるのは、親の役割だと思っています。

学校教育は、その歴史背景から、競争は推奨しない。
実社会ではそうではなく、敢然と競争原理が働いていて、椅子はそんなにたくさんはない。
自分をアピールする、伝わりやすい方法で手を上げるの、自分のやりたいことや心地よい環境を手に入れるには必要。

「馬を水飲み場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない。」の通り、親は考えるきっかけを作るだけで、あとは子ども次第です。

さいごに

アピールが苦手な人の大半は、人にNoと言いにくい人だと僕は考えています。
これ自体、良い悪いのお話ではありません。

とは言え、育児していると、そんなことも言っていられない。
必要な要求はたくさんあり、それが自分ですべて解決できれば良いですが、余力もない。

出先で子どもが「おしっこ」と言い出して、慌てて「トイレを貸してください」シチュエーションは、120%発生します。
大人だけや自分だけなら、トイレはある程度コントロールできますが、子どもは限界ギリギリの直前申告。

子どもといると、ハプニング三昧で、人に頼るハードルが下がります。
これは、ひいては仕事でも有用で、これ言っちゃダメかな、と躊躇していたことも、サラッと言えてしまうようになるのは、子育ての効用の1つです。