小中学生の夏休み期間平均は36.7日、夏休みは世界を広げる良い機会

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育児・子供観察

この文章のトピックスは以下です。
・日本の小中学校の夏休み期間平均は37.6日
・夏休みの長さを都道府県別にみると西高東低
・世界の子どもの夏休み期間は日本より長い国が多い
・夏休みの宿題のない国は多い

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都道府県別夏休み期間は西高東低

都道府県別 夏休み期間 東
都道府県別 夏休み期間 西
出典:【2023年最新】小学校・中学校の夏休みはいつからいつまで? 都道府県別「夏季休暇一覧」(学研 キッズネット)

上記は都道府県別、夏休み期間2023年の情報です。
一番短いのが北海道の26日。
一番長いのは42日間で、千葉県、石川県、愛知県、三重県、滋賀県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県、長崎県、鹿児島県です。
全体平均は37.6日、寒い地域は夏休み日数が少なく、暑い地域が長めです。

世界の夏休み期間・時期は日本よりやや長い

 

地域 期間・時期
アメリカ 3か月(6月~8月)
カナダ 2か月
ドイツ、スイス、オランダ 約6週間
フランス、フィンランド 約2か月
スペイン、イタリア、トルコ、ギリシャ 約3か月
中国 約2か月(7月~8月)
韓国 約1か月
オーストラリア、ニュージーランド 約6週間(12月~1月)
ブラジル 約2か月(12月~1月)
ペルー共和国 約2か月半(12月~2月)

出典:世界の学校生活を比べてみよう!(株式会社 明治)
出典:世界の夏休み事情(翻訳会社 JOHO)

上記は世界各国の夏休み期間情報です。
1つ上のブロックで日本の夏休みの都道府県別平均は37.6日と記載しました。
これより短いのは韓国のみで、それ以外の国は日本の夏休みより長い。
アメリカ、スペイン、イタリア、トルコ、ギリシャは3か月。
それ以外の国も2か月程度が多く、日本と世界の夏季休暇期間を比較すると、日本の夏休みは短いとなります。

夏休みの宿題は海外ではナシが多い

いまの日本の子ども達は、夏休みの宿題はそれなりにあります。
夏休みの宿題の変遷は以下のようです。

・大正時代
出版社が夏休み用の教材を作って売り始めた。

・第2次世界大戦中
文部省が「宿題帳」を作成し、全国に広まった。

・戦後
教員たち自ら、地域ならではの郷土文化を学べる宿題を作るようになった。

・平成以降
教員たちがつくるのは手間がかかるため、民間の教材を使うのが主流になった。
絵画や読書感想文などの課題が増えた。
補助的なイベントや塾も充実した

出典:宿題がなくて期間が2~3ヶ月ある国も。欧米と日本の「夏休み」はここが違う(個別指導塾スタンダード)

日本の夏休みの宿題量が海外と比較して多いか少ないかと言えば、多い方に分類されます。
以下、海外の夏休みの宿題情報ですが、宿題ナシが世界のマジョリティです。

アメリカ、ロシア、タイ、インドネシア、フランス、オーストラリアなど、一般的に宿題が出ないという国が多く、驚きます。出たとしても、わずかなプリントだったり、読書だったり。

出典:“夏休み=宿題の山”は日本だけ?世界の夏休みの過ごし方!(七田式教育公式サイト)

東南アジアのタイ・インドネシアでは、小中学校では一般的に宿題はありません。
エジプトも一般的に宿題はありません。

出典:海外でも夏休みの宿題はあるの?(共同通信ニュース)

上記は総論のお話で、宿題ナシの国といっても、たとえばアメリカでも算数と読書の宿題が出る学校もあります。

 

(物語)夏休みの経験が少し世界を変える

東京の普通の公立小学校に通う、ある少年がいました。
彼の名前は岳(たける)。
父親の趣味が登山で、人生の山を乗り越えていってほしいという願いからつけられた名前でした。

岳に兄弟はおらず一人っ子。
学校ではそれなりに友達はいて、休み時間や放課後、一人で過ごすことはありません。
通っていた学校がいじめに対し毅然とした態度を取るためか、岳はもちろん周囲にもいじめの兆候があればすぐに大人が介入するのは令和ならでは。
それでも、岳は学校が本気で楽しいとは思っておらず、行かないと何かよくなさそうとうっすら肌で感じるような、義務感から学校に通うごく一般的な少年でした。

夏休みは学校に行かなくて良い期間。
夏休みが始まると心に住み着いている「学校に行って何になるんだろう」が、顔を出さなくなるだけでも気が楽になります。
岳にとって、夏休みは待ち遠しいものでした。

岳の夏休み最大の楽しみは、田舎の祖父母のところに遊びに行くイベントでした。
地方にある母方の祖父母の家で毎年お盆の数日を過ごすのが、岳の家の恒例行事。
祖父母の家は地方の自然豊かな場所にあります。
岳は自分がなぜ祖父母宅を訪れるのが楽しいかとじっくり考えたことはありませんが、理由の1つに自分の自由意思の介入予知のない、強制(矯正)された毎日から解放されるような気がするからかもしれません。

今年もいつも通り、お盆に祖父母の家へ訪れると両親から聞いて、安堵したというか良かったというか。
岳はひそかに今年、田舎の祖父母の裏にある、1,000メートルに満たない低い山に一人で登ろうと計画していました。
登山道が整備されている裏山で、迷うほどの分岐がないのは事前に調査済み。
岳自身の登山経験は、小学校低学年から父親と年に1~2回低山登山に行っており、登山未経験者ではありません。

登山計画(希望)を登山が趣味の父親に相談したところ、「行って良いが、いつも以上に気を付ける事」と言われました。
父親は一人での登山経験はその後の人生にも役立つかもしれないと考えており、徐々に自立していくわが子を見送る一抹の寂しさもありますが内心は乗り気でした。
父親は自分が行く時以上に頭の中で道中のシミュレーションして、必要になるかもしれない登山グッズを厳選し、岳に「これとこれを持っていきなさい」と自分の登山グッズを貸していました。

お盆になり、東京から地方に向かう高速道路は大渋滞しますが、渋滞を超えれば高速道路ならではのスピードで祖父母宅へ到着。
岳は祖父母への簡単な挨拶をすると、すぐに近くの川に魚とり網を持って遊びに行きました。
その川は川幅数メートル、水深は深いところで太ももくらいで、毎年父親と魚とりをしていた場所です。
岳にとって今年のお盆帰省のテーマとして、一人でなるべく動いてみると考えていたため、今年は一人での川遊びです。

午後の日差しがまだ高い、じりじりと照り付ける太陽が肌で感じる暑い夏。
それでも、東京と温度は変わりませんが、周囲に自然があふれている田舎の体感温度は東京よりは低く感じる。
いつもの川へ降りていく土手まで歩き、持ってきた水筒の麦茶を一口飲んで河原へ降りていきます。
そして、足元に気を付けつつ冷たい水の川に入り、魚がいないかと水面をのぞきつつ川の上流へ歩いていく。

ふと気づくといま岳がいる位置から少し先の川べりの大きな岩に、一人の女の子が座っていて岳を見つめていました。
岳は自分から知らない人に声をかけられるような積極的な性格ではありません。
どうしてよいものか分からず、その子はいないものとしておこうと岳は考え、川面を眺めるふりをしつつ脳内アンテナは女の子側に傾いていました。
岳が女の子のそばを通り過ぎようとしたとき、女の子が岳に声をかけました。
「こんにちは。ここらへんで見ない子だね。どこかから来たの。」

内心どきっとした岳ですが、なるべく自然にふるまおうと「あっ、こんにちは」と返答します。
そして、自分が東京から祖父母の家があるこちらにお盆期間遊びに来ていると女の子にうつむき加減で話しました。
「私は楓(かえで)。ここからすぐの所に住んでいるの。よろしくね。」
「僕は岳。よろしくお願いします。」
挨拶が敬語になっているのに気付き、自分の発言がおかしいととらえられていないか、顔がやや赤くなりました。
楓は岳の言葉を受け流しているのか、ニコニコ笑顔で岳を見つめている。
「魚を捕まえるなら、もう少し上流に良いポイントがあるよ。そこに連れてってあげる。」
楓の提案に岳は同意、二人で上流に向かって歩き出しました。

異性をじろじろ見るほど異性慣れも勇気もない岳ですが、魚を探す合間に楓の様子を観察する。
Tシャツ、短パン、ビーチサンダル。
腕や足はかなり日焼けしており、いつも外で遊んでいる様子がうかがえます。
ショートカットの黒髪からも健康的な感じがします。
身長は自分より少し大きく近い学年と予想。
知らない人にも声かけができる社交性のある、自由な雰囲気が魅力的な女の子なのだろうと想像していました。

二人が出会った場所から、楓が知っている魚がいるポイントまで10分程度。
そのポイントは、川に草がかぶさるように生い茂っている下の流れが緩い場所でした。
水深はひざ丈ぐらいで魚が隠れるには良い場所だと、知識や経験の浅い岳にも分かります。

岳はそのポイントにそっと近づいて魚とり網を差し込んで、上下左右に揺らす。
おそるおそる網を引き戻し見てみると、10cmほどのうぐいが1匹入っていました。

「ちょっと小さいけど、やったね。」と楓に褒められる。
なかなか自分では捕まえられなかった魚が、サイズは小さいが捕まえられた。
魚を捕まえたうれしさなのか、楓に褒められたのが照れ臭かったのか、岳は満足感いっぱいでした。

その後も、上流に向かって二人でぶらぶらひざ丈以下の川の中を歩く。
30分ほど川登りしたところで、土手に座って休憩することにしました。

物おじしない楓は、岳に思いつくまま質問を投げかけます。
東京の学校はどんな感じ、街に人は多いの、いつもは何をして遊ぶの。
投げかけられた質問に、ぽつぽつ答える岳。
岳の方からも何か良い質問が出せないかと探しているが、なかなか思いつかない。
楓が質問して、岳が答えて、楓がそれに自分の環境や意見を言う話の流れでした。
そんな折、今回の田舎に来た目的を楓に聞かれて、岳は「裏山に登ろうと思っている」と伝えました。
それを聞いた楓は、夕暮れが近づいてきた赤くなりつつある西の空を見つめながら、独り言のように話し出しました。

こんな田舎だと、友達が固定されるの。
1学年5人くらいしか生徒がおらず、小学校全体でも30人もいない小さな学校。
先生や生徒含めいつもの顔ぶれで、居心地は良いけど閉塞感があると言えばそうで、今日のようにたまに一人でぼんやり川に座っている。
でも、どこかで殻を破るようなことをしたいと頭の片隅でいつも考えてもいる。
自分のおじいちゃんから以前聞いた話なんだけど「世界は広い。人様に迷惑をかけないのであれば、自分で決めて進むのは大事。」という言葉が心に残っている。
だからと言って、一人で東京のような都会に遊びに行けるわけもなく、身近で何かするとして思いつくのは裏山に登ってみたいとは思っていた。
学校からは裏山に子どもだけでは行ってはいけないと言われており、そこに特別な何かは存在しないのは知っているが、自分の意志で何かをやるために。
明日、私も一緒に裏山に行って良い?

失礼なようだが岳からみると楓は明るく優等生的で、悪く言うと悩み事もあまりないのかと想像していました。
しかし、考えている内容は少なくとも自分より深く、自分と向き合い自分の意志で何かを超えていきたいと考えているような気もする。
学校や塾などの忙しさに自分は身を任せて、自分はぼんやりと「何だかなぁ」くらいにしかとらえられていた日常より、現実的に小さな世界を客観的に捉え、そこから飛び立つ経験を望んでいる。
自分と同年代だと思っているが、随分大人びてみえる考えの持ち主なんだ。
自分一人で裏山に登ろうと思っていたが、楓のプラスになるなら言葉にしにくいがなんだか自分もうれしい。
岳は楓に「うん、一緒に行こう」と答えました。

夏休みが終わり、2学期が始まりました。
岳はいつもの代わり映えしない日常に戻り、いつも通り学校に通っている。
ただ、今年の夏休みに出会った楓との冒険と言って良いのか分からない思い出が、少しだけ夏休み以前の岳の心持を変えました。
どこにいても何をしても、自分の中の自分と対話できる。
考えた結果、時にルールを逸脱することになっても、覚悟を持って突き進む選択もある。
決めるのは自分。

夏休み前まで感じていてもやもや、それを閉塞感というなら、少しだけ世界を見る目が変わった自分に気づきました。
心の片隅では、来年の夏も楓に会えると嬉しいという想いとともに。

さいごに

茂木健一郎さんが、2019年読売新聞で以下のお話をされています。

長い人生、何が起こるかわからない。個性は「積み重ね」でもある。どの時点でも、将来何をしたいかは「仮説」に過ぎない。夢は決まったものではなく、柔軟に変化するものである。
それでも、子どもの頃、最初に手を伸ばして夢中になったものが個性の「芽」になることは間違いない。
この夏休みにお子さんが出会うものが、長く続く個性の成長の出発点になるかもしれない。そう考えたら、夏を迎えるのがわくわく楽しみになってくる。大人も一緒になって、子どもの個性の「種」を探すのが良いのである。

出典:夏休み、子どもは何に手を伸ばす?(読売新聞)

夏休みに限らず、子どもが夢中になる事と社会的に必要と言われるたとえば一般的な勉強など、親としてはどうバランスを取るのか永遠の課題です。
親目線ではつい目先の勉強にフォーカスしてしまうが、それで子どもの個性をつぶしてしまうようなら悪手です。
これは別に子どもに限ったお話ではなく、好奇心をすり減らすことなく人生を楽しみ続ける人は、当人は当然ですがそれを見る子どもにとってもプラスです。