「かわいそう」は難かしい言葉

スポンサーリンク
育児・子供観察

「かわいそう」と人に言えるか。
相互不干渉社会の現代では、この言葉の捉えられ方が難しく、使用頻度が減った気がします。
子どもがテレビを見ていて「かわいそう」発言は、普通に見られる光景です。
子どもの発言は素直な感想であり、成長したどこかのタイミングで、親子で一緒に考える良いキーワードです。

スポンサーリンク

子どもの素直なかわいそう発言

わが家の子どもが、アフリカの動物番組を僕とテレビで見ていて、弱い動物が食べられるシーンで「かわいそう」と言いました。
どんな想いでその発言をしたのか興味本位で「何がかわいそうと思ったの」と聞くと、「食べられちゃったから」。
言葉通りの意味なのか、その裏に命がなくなるや、食べられる側がかわいいなどがあるのかもしれません。
どこかの絵本で覚えた言葉なのか、自分の知っている単語の中から、一番フィットしそうな言葉を選んだのか。
その場で、深く聞くのも嫌がられそうので「そうなんだ」で終わらせました。

僕は「かわいそう」発言をしないように意識しています。
「かわいそう」には、相手を哀れむ、同情する意味があると考えています。
個人が置かれた状況は同じものはなく、自分が「良くない状況」と思ったとしても、一方的に決めつけるのも失礼。
児童虐待など、子どもが声を上げられない状況は許されませんが、その人がその状況を悲観的にみているとは限らず、そうであれば他人から訳知り顔で「かわいそう」を投げられたら、不快に思う可能性があると思っています。
良く言われる、後進国の子どもは物質的に恵まれていなくても、先進国の子どもより笑顔が多いのも一例です。

子どもが小さいうちは、思ったことをそのまま口にします。
相手がどう思うかはまだ考えられず、子ども時分は、良い悪いではなくそういうもの。
冒頭の動物が食べられるシーンを見て、わが家の子どもが「かわいそう」と言ったのは、大人の計算した取捨選択が入っていない言葉です。
そう考えると、人間は本来食べられる、あるいは命がなくなる恐怖を、類人猿時代には持っていたのだと妄想していました。

かわいそうの語源

あわれで、人の同情をさそうようなさま。ふびんなさま。かわゆそう。かあいそう。

出典:可愛そう・可哀想(コトバンク)

「かわいそう」は、上記の引用の通り、複雑な要素を持っています。
食べられる姿を哀れんでいるのか、不憫に感じるのか
また、本能的にかわいいと思うのは、大半の人が持っている人に備わったセンサーのようなものです。
そうではなく、エゴとして自分の主観の押し付けや、相手を見下す姿勢、マウンティングもあり得ます。

実際は、どれか1つに絞られるものでもなく、いろいろな要素が一定割合、混ざっていると思います。
それゆえ、この言葉が適切なのかも判断が難しくなる。

こうしたときに、使い古された表現をせず、一歩引いて考えたい。
絵本やテレビで「かわいそう」が出てきているので、そのまま鵜呑みにして使うのではなく、「かわいそう」がどんな気持ちで、いま自分が発している「かわいそう」が適当か。

たくさんの要素が含まれているモノは、考えるには好材料です。
あれはどうだろう、こう考えたら、みたいな内容を子どもと親が話すのは、子どもの将来の種まきになります。
「かわいそう」以外にも「正義」「愛」「生」「死」など、深く認識するには、相応の時間が必要です。

沈黙は金の重みが増す時代

現代は、相手を評価することに対し、センシティブな時代です。
ダイバーシティの影響は大きく、自分と違うものに対しては寛容(否定的な発言をしない)がスタンダード。
不用意な発言に対して厳しく、一部の言葉刈りも含めで、簡単に炎上します。
いま、20歳以上の独身女性に「結婚していなくてかわいそう」はあり得ない。

思っても口に出さない、使う言葉に気を付けるレベルが上がって、良い面もあります。
発言してよいのかの状況判断、発言内容し物事を円滑にする方法を身に着けるトレーニングとしての意味。
もちろん、前提として相手を慮る考えがあり、それがより実践されていることになります。
またこれも、現代人がスマートになった理由の1つかもと思っていしまいます。

言っている内容が支離滅裂な人は、減りました。
昔、上司で「逆に」を、連呼する人を思い出します。
「逆にxxになるね」と言った後、しばらくしてまた「逆に言うと〇〇だよ」。
元に戻っていればまだ良いですが、元に戻っていない。
社内でも「あの人はねぇ」と、頭が悪い人認定されていました。

頭が悪いと思われる言動を意識的に控えて、ボロを出さない。
沈黙は金の言葉通り、実践する人が増え、一言多い人が減りました。
弊害として、耳が痛い内容だったとしても、それを箴言してくれる人が減ったとも思っています。

スマート化が進んでいる原因は1つに絞れるものではないですが、いろいろなモノが積み重なって、シュッとしている風に見せかけるのが、現代風です。

さいごに

「かわいそう」の単語自体、もともとは「かわいい」の意味も含んでいました。
現代の感覚で考えると、この2つは逆の意味として使われている気がします。
「かわいそう」はネガティブ、「かわいい」はポジティブ。
この言葉1つとっても、時代で意味が変わってきた一例で、言葉の奥深さというか難しさを感じます。

僕は自分の気持ちを、うまく言えないとたまに気づきます。
たまになのは、それ以外は不用意に言葉を使っているだけで、良否判定すらしていません。

自分がうまい表現ができない・知らないことも含め、言葉自体も不完全なもの。
自分の気持ちを、ど真ん中で表す言葉はないと僕は考えています。