この文章のトピックスは以下です。
・国内のすいか出荷量は52年で-74.7%
・作付面積は52年で-77.8%
・1ha当たりのすいか収穫量は52年で113.9%
・都道府県別すいか収穫量上位陣のうち伸びている県も2つある
・世界的にすいか生産量は中国が圧倒的でシェアは約6割
国内すいか出荷量は半世紀で約3/4に縮小

出典:作況調査(野菜)(農林水産省)
上記は日本国内のすいかの出荷量と作付面積です。
出荷量は1973年1035000トン、2024年261400トン、前後比-773600トン(-74.7%)。
作付面積は1973年38800ha、2024年8600ha、前後比-30200ha(-77.8%)。
出荷量のピークは1973年1035000トンで、その後下がり続けています。
作付面積も出荷量も、52年で約1/4まで減っています。

出典:作況調査(野菜)(農林水産省)
上記は日本国内の1ha当たりのすいか収穫量です。
1ha当たりの出荷量は1973年26.7トン、2024年30.4トン、前後比+3.7トン(113.9%)。
1つ上のグラフで出荷量と作付面積は大きく減少しておりましたが、1ha当たりの出荷量は緩やかに上昇しています。
都道府県別すいか収穫量が多い県

出典:作況調査(野菜)(農林水産省)
上記は都道府県別のすいか出荷量Top6です。
2024年の1位は熊本で2024年出荷量は49100トン、2位は千葉で34300トン。
この2つの県は、1973年と2024年の出荷量を比べると大きく減少しています。
逆に3位の山形は1973年よりも2024年の出荷量が多く26100トン。
上位6都道府県中で、1973年よりも2024年の出荷量が多いのは山形ともう一つ長野県で、その増加率は285.7%と約3倍の出荷量になっています。
世界のすいか生産は圧倒的に中国

出典:世界の果物産地ランキング すいか類 (果物ナビ)
上記はすいか生産量Top10と日本の情報です。
1位は中国で63,821,304トン、シェアは60.8%と約6割が中国です。
日本は31位でシェアは0.29%。
世界的にみると、メロンと同じくすいかは中国1強です。

(物語)赤でも黄色でも求めるものは同じ
東京に小学校に通う僕の家の夏には、冷蔵庫の野菜室にたいていすいかがある。
母方の実家が熊本県にあり、そこから毎年、すいかが届くのだ。
送られてくる段ボール箱には、祖父の少し震えた字で「取扱注意・天地無用」と書かれている。
すいかは基本的にどの方向から見ても丸いのだから、どこが上なのかはよくわからない。
それでも祖父は、必ず矢印を書いてくる。
学校の友達と話していて夏が始まったなと思うのは、現代の風物詩、酷暑によるアイス食べたいの話題からだ。
けれど僕にとっての夏は、冷蔵庫に入らないほど大きなすいかが届くことで始まる。
祖父母の家は熊本県で、そこは日本一すいかを作っている場所だと、祖父は言っていた。
その口ぶりは自慢のようではなく、事実として静かな語り口で。
たまたま目にした新聞では、すいかの出荷量が年々減っていると書いてあった。
理由はいろいろあるらしい。
大きすぎるとか、切るのが面倒とか、種が多いとか。
つまり世界は、すこしずつすいかと距離をとっているのだ。
小学校で、好きな果物の話になったとき。
だれかが「いちご」と言った。
別のだれかは「シャインマスカット」だった。
僕は少し考えてから「すいか」と言った。
すると、クラスの何人かが顔を見合わせた。
「すいかってさ、あんまり食べなくない?」
「家で切るのめんどいし」
そのとき僕は、自分だけがちょっと古い地図を持っている人みたいな気分になった。
間違っているわけではないけれど、もうだれも使っていない地図。
それから僕は、好きな果物を聞かれてもすいかとは言わなくなった。
ある年の夏休み、僕は熊本に帰省した。
祖父母の家は、東京にいる時と比べ時間がゆっくりになる。
縁側の木は熱を持っていて、庭のセミは関東では聞かない鳴き声で、壊れかけの機械みたいに鳴く。
夕方、祖父が畑から戻ってきた。
手には小さめのすいかがあった。
「今日はこれを食べる」
祖父はそう言って、台所の流しで冷やした。
しばらくして、祖母が包丁を入れる。
ぱん、と小さな音がした。
僕はその音が好きだった。
何かが静かに目を覚ます音。
でもその日、包丁のあとに現れた色は、僕の知っている赤ではなく黄色だった。
夏の午後の光みたいな、明るい黄色。
「黄色い・・・」
僕が言うと、祖母は笑った。
「珍しかろ」
祖父は何も言わずに、皿に三角形を並べた。
僕は少し不安を抱きつつ、一口食べた。
味は赤いすいかと大きくは変わらないが、僕の知っている赤い果肉のすいかより甘さが強く、上品な甘さだった。
深みのある味わいと子どもの僕が言うのも説得力はないが、すいか自身が長い間考えごとをしていたような。
「どうだ」
祖父が聞いた。
「いつものすいかよりおいしい。すいかってどれも一緒だと思ってたけど違う。なんかすごい」
それ以上うまく言えなかった。
祖父の顔を見ると口元が緩んでいるようにも見え、少しうなずいた。
「すいかもな、いろいろ考えてるんだ」
夜、祖父と畑を歩いた。
いまは日本全国、夏の日中は出歩くのに勇気がいるようになったが、夜になると散歩も耐えられる気温になる。
夜になるとセミの鳴き声は少し小さくなり、代わりにカエルの大合唱が始まる。
畑では月の光の中で、すいかは地面に丸い影を落としていた。
すいかの形が球体で、畑全体を見渡すとそこは小さな惑星の群れみたいだった。
「昔はな、すいかはもっとたくさん売れてた」
祖父は言った。
「いまは減っとる」
「なんで?」
「さあな」
祖父は畑の土を軽く踏んだ。
「でもな、減ってきたから見えてくるものもある」
その言葉は、そのときの僕にはよく分からなかった。
東京に戻ってからしばらくして、BGMのようにただスイッチをオンにしていたテレビですいかが映し出された。
画面では、長年研究して作られた高級すいかの話についてレポーターが語っていた。
糖度が高く、栽培が難しく、ほとんど市場に出ない黄色いすいか。
祖父は、あの日、僕に何も説明しなかった。
ただ僕に食べさせただけだった。
多分祖父にとって大事だったのは、値段でも名前でもない。
食べた誰かが「すごい」と思ってくれることだったのではないか。
それから何年か経った今でも、夏になるとすいかを思い出す。
すいかの出荷量は相変わらず減少し続けている。
いまはこうした情報はネットですぐに調べられる。
そして世界はますます小さく、便利なものを好むようになった。
けれど僕は時々思う。
畑の中で、あの黄色いすいかが静かに育っていたことを。
長い時間をかけて、その存在の一番大事な部分である、より良い触感と甘さを目指す果物。
父親が僕に「いまは昔に比べ変化スピードが上がっている」と言った。
実際、自分の周りを見てもそう思う。
そして父親は続けてこう言った。
「だからこそ、意味あるものについてじっくり時間をかけて育てるのも重要になっている」
それを聞いて、僕はあの黄色いすいかを思い浮かべた。
さいごに
僕が子どものころ、庭ですいかを育てたことがありました。
父母とも、熱心ではありませんでしたが庭で野菜や果物を育てており、ある年はそれがすいかだった。
その当時僕が知っているすいかは、直径30cmくらいはあるような大玉すいかです。
すいかはそういう果物だと思い込んでいました。
すいかを育て始め15cmくらいの大きさになった後、日にちが経ってもそれ以上大きくならない。
それを見て僕は、生育に失敗したのだと想像。
これ以上時間をかけても腐るだけだと思い、収穫して台所で包丁をいれたところ中身が黄色。
「大きく育たなかったし、黄色く腐っていたよ」と僕は母親に話しました。
黄色すいかがこの世にあるのを知らず、母親に笑われた記憶があります。
黄色の果肉は、食べてみたらおいしいすいかでした。

