子どもの親になって自分の中に装備された新機能

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育児・子供観察

子どもを持つと、新しい感情回路ができる。
「子どもの泣き声受容回路」や「子ども影響心配回路」など。
もちろん造語ですが、子育てを体験して自分が変わるのを、俯瞰してみるのはおもしろいです。
感情の起伏の大きさもそうですが、子どもの影響は親にとって大きなものだと感じます。

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子どもを持つと装備される「子どもの泣き声受容回路」

まったく視野外だったものが、子どもを持つと一気にリアルになる。
電車の中や、ファミリーレストランでの、子どもの泣き声に対する、受け止め方もその1つです。

独身時代には、子どもの泣き声はノイズとして感じるのは、自分もそうだったので理解できます。
一応、自己弁護しておくと、僕は脳内で「うるさいなぁ」くらいは思っても、相手に聞こえるように舌打ちはしていません。

それが、子どもを持つとノイズの批判的な感情ではなく、同意・同情・共感・過去想起などの肯定的な感情になります。
イメージは180度の方向転換です。

この感情の反転を僕は経験、正直、自分がそんな変化をするとは、意外でした。
幼馴染が少年期に僕を評して「子ども嫌い」、自分でもおぼろげにそう思っていました。
それがいま、子どもを持ってからは、電車などで小さな子どもが横に来ると、つい見てしまう。
僕は完全なオッサンなので、じっと見るのは思わぬリスクとなりそうなので、チラ見だけです。

映画も同じ。
家族愛映画を観ても、退屈な映画と感じていた独り身時代が、家族で生活するようになって、がぜん当事者になる。
退屈な日常のシーンに込められた、それぞれの登場人物の想いが想像できる
以前は想像すらしていなかっただけですが、こんなこと思っているのかなぁ、と頭の中で考えるようになりました。

映画「東京物語」は世界中で評価の高い映画で、子どもがいるいない関わらず、その普遍的な良さはあるのだろうと思います。
ただ、僕は子どもを持ってからこの映画を観た時、家族、特に親子の視点で引き込まれている自分に気づきました。

「東京物語」は家族愛の映画でもありますが、リアルタイム子育ての臨場感を強く感じたのが、細田守監督の「未来のミライ」でした。

子育ての臨場感があふれる映画「未来のミライ」

細田守監督の作品の興行収入が以下です。

作品名 興行収入 公開年月
時をかける少女 2.6億円 2006年7月
サマーウォーズ 16.5億円 2009年8月
おおかみこどもの雨と雪 42.2億円 2012年7月
バケモノの子 58.5億円 2015年7月
未来のミライ 28.8億円 2016年7月

最初にこの情報を出した理由の1つは、この映画が賛否両論がある作品だからです。
と言っても、ネット上の賛否なので信ぴょう性はその程度とお考えください。

否定派の端的な表現では「未来のミライ」は前作に比べ収入が落ちたので良くないというもの。
前作の「バケモノの子」に比べ、「未来のミライ」の興行収入は約半分(49.2%)になっています。

個人的には興行収入など意味はない、と言いたいのですが、そんなに夢想家ではありません。
興行収入は、スタッフへの給与や、次作へつなげる意味でも、最重要視するもの。
興行収入は一定を超えれば、少しだけ目を背けられるくらいだと思っています。

この「未来のミライ」は、主人公が4歳の男の子で、戦いなどアクション要素が薄い作品。
主人公一家の日常に焦点と言う部分が、前作との大きな違いだと思っています。

ストーリーは4歳の男の子の成長物語、そしてその家族のファミリー映画。
細田監督らしく、ファンタジー要素はありますが、僕には痛いくらいのリアリティを感じる子育て映画でした。

一言で表すと「そうだよ、こんな感じなんだよ」と。

赤ちゃんの洗濯ものは赤ちゃん専用洗剤

作中に、赤ちゃんの洋服を洗濯するシーンが出てきます。
ママがパパに向かって「これが赤ちゃん用の洗剤」と指示しています。

洗濯するときの洗剤を、子ども用と大人用で使い分ける。
どのくらいのご家庭がそうなのか分かりませんが、わが家も使い分けていたので共感。

ドラッグストアを注意深く、というか子どもを持たないとまず見ない、子ども用品売り場。
身体を洗う石鹸は敏感な赤ちゃん用のものがあることは、独身者でも知っているかもしれませんが、洗濯洗剤も刺激の少ないものが売られています。

こうしたリアルな育児生活が、この映画には随所にちりばめられています。
この映画は、細田監督の子育て経験をもとにしているらしく、まるで匂い立つような現実感を感じます。
僕は男なので、作中の奥さんに叱られる旦那さんへの感情移入も半端ない。

洗剤なんか、大人と同じものでも変わらないのでは?という疑問もあります。
これはYesともNoとも答えられない、各家庭で決定せざるを得ない内容です。

それでも僕は「化学物質過敏症」を知って、ふと立ち止まって考えてしまった一人です。

外に出るのはおろか一般生活をも脅かす

最近知った症例として「化学物質過敏症」があります。

化学物質過敏症(かがくぶっしつかびんしょう)とは、非常に微量の薬物や化学物質(主に揮発性有機化合物)の曝露であっても健康被害が引き起こされるとする疾病概念。人体の薬物や化学物質に対する許容量を一定以上超えると引き起こされるとされており、個人差が大きいといわれる。化学物質の摂取許容量と同様に、発症原因および症状、その進行・回復速度や度合いも多種多様であるといわれる。多種化学物質過敏症または本態性環境不耐症とも呼ばれる

出典:化学物質過敏症(wiki)

原因は化学物質で、そのアレルギー反応と言われていますが、確定ではなく懐疑(否定)見解もあるものです。
ただその症状としてはさまざまなものがあり、頭痛や慢性疲労、自律神経疾患など多岐。

自分が罹患したら厳しいと感じる状況が「電車に乗れない、人が多い場所に行けない」。
不特定多数の洗濯洗剤やシャンプーに、自分の身体が反応して外出できない生活になるようなものです。

そして、仮にわが家の子どもが化学物質過敏症になったら。
子どもが許容できる環境、たぶん田舎に引っ越して、隠者のような生活になるのか、と架空の想像をしていました。

「子どもの泣き声受容回路」と同じく、自分だけなら気も留めなかったものが、子どもを持って自分ではなく子どもに影響がないか考える。
「子ども影響心配回路」も、親になると自動装備されるのを、自分を観察していて気づきました。

さいごに

以前、わが家が住んでいる家を設計してくれた、女性の建築士の方との雑談中の一言が、僕の記憶に残っています。
「子ども持って変わったことの1つに、子どもの死が出てくる小説が読めなくなりました」
造語で例えると「子ども死亡恐怖回路」辺りでしょうか。

僕は子どもが亡くなる小説は読めますが、読んだ時の感情の揺れ幅が、独身時代に比べ大きくなっている自分がいるのは感じます。
それ以上に僕にとってインパクトがあるのが、「子どもの列に車が突っ込む」ニュース。
事故にあった子どもはどうなったと思うとともに、その子の親の心痛を考えるようになりました。

ただ、僕は感情の起伏は意識して抑える傾向を持っており、処世術的にすり替えもします。
これは自分のことではなく、映画の1つのシーンと捉えなおすような。
そしてそのニュースから、自分の子どもが同様のシチュエーションに会わないように何ができるか、を考えてもいます。

子どもを持って心配事も増えますが、肯定的な感情も増加します。
映画や小説で幼くして死別した子どもが、タイムカプセル的に「ママ、パパ、二人の子どもで良かった」的な内容に出会った時。

ベタ過ぎますが、これが自分の中で深くじんわり染み込むようになりました。