婚姻組数は、この先も右肩下がり予測。
若者が減り、結婚に意味を見いださない人も増えているので、予定調和です。
僕は結婚生活を継続していますが、人に結婚を薦められるかといえば、良し悪し両面で悩んでしまう。
そのうえで、結婚するのであれば、僕は自分の発言に縛られる意味で、結婚式をやって良かったと思っています。
コロナ過で披露宴は減少したのか
僕の奥様と僕は、結婚披露宴をレストランで行いました。
いまでも、毎年の結婚記念日もしくはその前後に、そのレストランへ食事に行っています。
そのレストランは、だれかの披露宴パーティーが入っている時は、通常営業していない。
そのため、予約を取る際に、披露宴パーティーが入っていないかの調整が発生します。
われわれが訪問するレストランには個室があり、毎回、個室を利用させてもらっています。
味も満足していますが、子どもができてからは個室のありがたみが嬉しい。
格式の高いレストランは、子どもの入店制限があるお店もあります。
僕はそれは良いとも悪いとも思っておらず、子どもの年齢制限を設ける方針のお店には、それに従えば良い。
何にせよ、子どもがいると個室がありがたいと感じるのは全親共通。
周囲のお客様に迷惑をかける心配がない、これだけでレストランに行くハードルがグッと下がります。
そのレストランは、披露宴パーティで人気があるので、われわれの結婚記念日同日にスムーズに予約が取れたことはほとんどなく、たいていは前後にずれていました。
それが、コロナ過になっての直近のレストラン予約では、披露宴パーティーが減少したのか、こちらの第1希望が通りました。
2020年の披露宴は前年比12.6%減少
披露宴件数の推移がありました。
出典:婚姻組数予測(リクルート ブライダル総研)
このグラフ、2019年までは「確定値」で、2020年以降は「予測値」です。
言うまでもなく、2020年の谷はコロナ過が始まった年です。
世界中が右往左往、日本でも結婚式を開催して良いのか悩んで、取りやめや延期したカップルがいたと想像します。
他人事ですが、自分が2020年に披露宴を予定していたとしてたら、そうとう悩んだと思います。
別のサイトでコロナ過になってから、結婚式を挙げたカップルのアンケート結果があり、そこにはいくつかの納得の理由がありました。
・いつ収束するか分からない(そうであれば人数を縮小したり、感染対策してやった方が良い)
・いつまでも待てるものでもない
・致死率だけを見るなら低い
・準備に時間をかけてきた
・物理的にではなくネットで開催した
2021年は予測値ですが、2020年より11.7%上昇。
コロナ過に慣れ、もしくはコロナ疲れで、工夫して開催するカップルが普通のようです。
同じ情報元に、地区別のデータがあったので、2007年と2030年を比較した結果が以下です。
出典:婚姻組数予測(リクルート ブライダル総研)
一番、減少幅が少ないのが沖縄。
これも、子どもの数でずっとTopを独走している沖縄の裏付けになります。
2位が首都圏なのは、日本中から若者が集まる地域としての強さの表れです。
東京の人口が減ったというニュースがありましたが、引っ越し先に首都圏が多いという事実はあります。
地方から東京に出てきて結婚、コロナ過でリモートワークになり東京に居を構える意味が薄く、同じ金額なら住環境が広くなる千葉県や埼玉県への引っ越すシナリオは、だれしも思いつきます。
何にせよ、すべての地区で婚姻数は減る未来ですが、個人的にはある1点を持って、挙式を挙げてよかったと思って。
神前結婚式の「誓詞奏上」
この文章の冒頭、我々夫婦の披露宴はレストランで開催と書きましたが、われわれは結婚式を「神前式」で挙げました。
神社で神主さんに、お祓い棒(白いギザギザの紙が付いた棒)で、ばさーばさーと言うヤツです。
神前結婚式は三三九度が有名ですが、それ以外に最後に新郎が読み上げる「誓詞奏上」という演目があります。
平たく言うと「結婚して夫婦として、しっかりやっていきます」を新郎が読み上げるもので、キリスト教の「病める時も健やかなるときも」の和式です。
挙式当日、僕は衣装替えをして、はじめてこの「誓詞」を渡されました。
後で調べて知ったのですが、「誓詞」の内容は神社によって違い、数行の短いものから、結構な分量のもの、あるいは自分たちで作るのも良いらしい。
僕が受け取った「誓詞」は、神社側にご準備いただいた定型のもので、20行程度のたぶん長文に分類されるものでした。
「誓詞」の中身は、現代で一般に使われない単語もちりばめられており、意味は推測できますがの読みにくい。
また文字が、「楷書」ではなく「行書(やや崩れた文字)」っぽいのも、普段、パソコン標準文字に慣れた側からは、スムーズには読み進められず。
事前に何度か読んで、詰まりそうなところがないか確認して、本番に望みました。
本番では、あらかじめ聞いていた進行タイミングにあわせ、自分の懐から「誓詞」を取り出して読み上げる。
読み躓くことなく、声もそれなりに張っており、無事大役を果たせました。
新郎がボソボソ読み上げたのなら、新婦側親族から「あんなんで大丈夫か?」と念頭にあったのですが、そんなこともなく。
100点満点でいうと80点くらいかな、と読み終わって考えていました。
この時の「誓詞」のエッセンスが、いまでも僕の中に棘のように刺さっています。
言葉の呪いにも近いが
「誓詞」の細かい文言は、今では覚えていません。
しかし、いまでも夫婦喧嘩のような言い合いした後の苦い心情のとき、うまく話せなかった後悔とともに、「誓詞」が顔を出す。
「何かの縁で結ばれたことに感謝し、つらい時でもお互い助けあい、添い遂げる」
結婚生活が継続できるかは、相手に敬意を持って自分がどれだけ変化に適応するか。
他人と意見が食い違うのは当たり前で、その前提で相手と接する。
うまくバランスを取って、どちらかが死ぬまで手を取っていられたらなんか良いな、くらいに考えています。
一応ですが、僕は離婚肯定派です。
昭和以前のように、暗黙の外部プレッシャー「簡単に離婚するな、結婚したら添い遂げろ」的な意見には否定的。
1人の人間として、たとえ子どもがいたとしても、逃げざるを得ない状況になったら、逃げた方が良い。
そのうえで、逃げずに踏みとどまることも、ある程度まではやったほうが良い。
現実、そういう人も周りにおり、崖っぷちでも工夫して持ち直しを模索している姿は、人間のしなりのような。
そういうケースから学んでいるのは、自分が当事者でもあり、いつでも悪い方悪い方に考えてしまう可能性を孕んでいる。
そのために、お互いのぶつかり合ったときうまくいなせるような仕組みを、事前に話し合っておくのも妙案です。
たまに台風に巻き込まれることはあっても、やり過ごすために傘をさす。
僕の中では、その傘に自分が読み上げた「誓詞」がぶら下がっています。
さいごに
結婚していない人でも、金婚式や銀婚式は聞いたことがあると思います。
この記念式、毎年違ったものがあることを、僕は結婚するまで知りませんでした。
1年目は紙婚式、2年め藁婚式と15年目まで毎年、違ったものがあります。
正直、バレンタインデーと同じく、商業主義から生まれた物ではと思っていますが、小ばかにしつつも僕はそれに則り、毎年、それらしいものを準備します。
形式的なモノを、若いころは無意味と切り捨てていましたが、いまは少し違う。
僕にとっては初心に立ち返る日としても、こんなに月日が流れたと確認する日としても、マイルストーンになっている。
結婚はドキドキではなく、実生活です。
ただ生活のみでは、相手が空気のようにな存在になってしまう。
結婚生活は、とかくマイナスに目が行きやすいもの。
それゆえ、一緒にいる人と心地よい時間をつくるためのメンテナンスは大事です。