もっともっと考える必要性【書評】自分のアタマで考えよう

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本・読書

自分が社会人を何年も経験した後にやっと気づけたことですが「考える力」が圧倒的に足りない、という現実。
まさに昭和日本教育の集大成のような「答えが1つ」という思考停止状態。
社会派ブロガーちきりんさんの『自分のアタマで考えよう』には、これから生きていくうえで「考える」という大切な事が書かれています。

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「知っている」と「考える」はまったく別モノ(Page1)

僕が初めて就職したときの評価軸が「自分が学んだことがすぐ使えるか」という選択方法でした。
実際、最初に入った会社では学んだことを若干応用すれば、それほど問題なく仕事をこなすことができました。
もちろん一定レベルという次元で、今から考えると社会人マナーなどはヒドイ状態でした。
これは過去の知識である「知っている」の延長線ということです。

当然コレだと壁に突き当たります。
まったく違う分野の業務に就いたとき、手が止まりました。
何をして良いかわからない。

それまで仕事が回せていたと思い込んでいただけで、過去の知識だけでなんとか取り繕っていただけ。
当たり前のようにつまずきました。

思考力のある人は、自分の専門分野においてさえ革新的で柔軟です。
それは彼らが常にゼロから考えているからです。
時代が変わり、世の中が変わり、新しい現象が出てきて新しい情報に触れたとき、過去の知識ではなく、目の前の情報から考えることができるかどうか。
それが「考えることができる人」とできない人の分岐点です。
もしくは、「時代の変化に気がつく人」と気がつかない人の違いともいえます。

 

考えるということは「面倒くさい」と考える人もいます。
昨日のやり方を変えずに、ただ漫然と今日も続けるほうが楽です。
それに対する宮崎駿監督の言葉が刺さります。

面倒くさいっていう、自分の気持ちとの戦いなんだよ。
世の中の大事なことって、たいがい面倒くさいんだよ。

 

「なぜ?」「だからなんなの?」と問うこと(Page41)

自動車会社トヨタに「5回のなぜ」というものがあります。
問題解決技法の1つで、新入社員時から「なぜそれが起きたのか」を繰り返し考えさせられます。

一例として「少子化となっている原因は」などがあげられます。
単純に「結婚する人が減っているから」では、だれも納得しません。
なぜ結婚する人が減っているのか?という問いを5回繰り返します。
それによって真因を探すことがこの「5回のなぜ?」の目的です。

真因を探ることで終わっては何も生みだしません。
その真因によって「どうなっていくのか」、そして「どう対処するのか」を考えます。
物事をシンプルに考えることは重要ですが、そこにもつながります。
漠然と「なんとなくそう思う」というのは、シンプルの真逆です。

事象をできる限り因数分解して見える化すると、シンプルに近づきます。
対策も具体的な対策が立てられます。

情報を見たときに考えるべきことは、「なぜ?」と「だからなんなの?」のふたつです。
その背景(=データの前段階)を考える「なぜ?」と、そのデータをどう解釈・判断し、対応すべきか、と一歩先(データの後段階)を考える「だからなんなの?」のふたつの問いを常に頭に浮かべましょう。

 

知識は「思考の棚」に整理しよう(Page217)

初心者に対し、パソコンの「フォルダーの概念」を説明するとして、あなたならどうしますか?

1つの解答例として、大きな本棚で説明する方法があります。
たくさんのジャンルの本と、1つの大きな本棚があります。
本を本棚に入れるとき、バラバラに収納しますか?
たいていの場合、一定の法則に沿って格納していくと思います。
たとえば、一番上の棚は文学、2番目の棚は専門書というイメージです。

コレと同様に頭の中も一定の棚に整理する、というのがあとがきで書かれています。
考える癖をつける。
画一したパターン化はダメですが、一定の枠組みを持っておくと思考の迷いがなく評価軸が定まります。

「知識」と「思考」の最適な関係は、「知識を思考の棚に整理する」というものです。
思考の棚の中に知識を整理して入れ込むことにより、個別の知識が意味を持ってつながり、全体として異なる意味が見えてくることがあります。
そういった「統合された知識から出てくる新たな意味」が、「洞察」と呼ばれるものになります。

 

個人的に思うこと

僕が10代のころ、新聞やニュースが報道している内容はほぼ正しいと思っていました。
典型的な思考停止のアホでした。
当然、今は大手メディアは偏向報道している、という前提で接触しています。

この本にも出てきますが、そのきっかけの1つが911アメリカ同時多発テロの報道。
アメリカの大手の報道でもいくつか特色がありと、本には紹介されています。
個人的には記載のない、アルジャジーラの報道が印象的でした。

アルジャジーラとはカタールある、24時間放送を行っている衛星テレビ局。
カタールということでイスラム圏の国にあるテレビ局です。
アメリカ系の報道がイスラム系を擁護するのはさすがに厳しいということは理解できます。
その中でアルジャジーラの報道は「中立・公平」を意識しようという気概がとても強く感じられました。

日本では米英・ヨーロッパ系の都合が悪いことはあまり取り上げません。
また、中東でテロにより数十人が亡くなった、などの報道はほんのわずかです。
逆にヨーロッパで数人がテロに巻き込まれると、盛大に取り上げます。

911アメリカ同時多発テロにおいては、イスラム系のほんのわずかな人たちが起こしたもの。
大半のイスラム教徒は、冷静に考えれば被害者でもあります。

実際、911アメリカ同時多発テロ直後にニューヨークに住んでいた日本人の友人から聞いた話。
その友人の家の水道が故障したので、修理を頼んだらアラブ系の人が来ました。
その友人は特に深い意識はなく、雑談の1つでも、と思い話をしだしました。

友人 「今回はあなた方にも、風評被害が出ていそうで大変ですねぇ」
修理人「(涙を流しながら)そんなことを言っていただけたのはあなたが初めてだ」

その修理人はテロ事件以降、白人系の家に行くと追い返されたり、罵倒されていたそうです。

何かの情報に触れたとき、その情報を思考停止状態で受け入れると危険です。
その情報は誰がどんな目的で発表しているのか、自分の頭で考えることを常に心がけたいトコロです。

ではでは

◆今回のまとめ◆「知っている」と「考える」はまったく別モノ
「なぜ?」「だからなんなの?」と問うこと
知識は「思考の棚」に整理しよう
もっともっと考えよう!