子育てしたり、組織で管理職になると、受け取るものと与えるものを意識します。
現代で成功する人は与える人の研究結果があり、実際に社会を見渡してみると、その通りだと感じます。
自分の奥様や旦那様と、相互に授受するバランス配分は、難しくも調和点を探すのは重要。
子どもを見ていると、人間はだれかを助けたい本能のようなものがあると感じます。
ギバーとテイカー
世にいう「Give & Take」、与えるか受け取るか。
以下、成功者がどうだったかについて書かれた本です。
この本では、以下の3つの分類があり、一番得する人、一番損する人を考察しています。
ギバー(giver):惜しみなく与える人
テイカー(taker):自分の利益を優先する人
マッチャー(matcher):与えることと受け取るバランスを取る人
結果は本のタイトル通り、一番、成功しているは与える人のギバー。
失敗しているのもギバーという、少し引っ掛けもあります。
「人が良い」ということわざ通り、与えすぎて失敗するのは分かります。
「人たらし」ということわざは、口がうまいでもありますが、言葉も含む希少な何かを人に与える。
それが、成功者の秘訣の1つなのも分かります。
SNSの台頭が、悪者(テイカー)を排除するという、現代要因はあります。
一昔前は、良いことも悪いことも、一般ニュースにもならず、Google検索結果に残りませんでした。
いまは、どちらも小さな情報であってもネットに残ります。
そうすると、悪いことをし続けるのが難しくなる。
人を否定するアカウントを作っては消すを繰り返しても良いですが、ブロックされて終了。
悪いアカウントの乗り換え続けても良いですが、新規アカウントの信頼度はゼロです。
対し、プラス発信を続けると、それが積層していく。
結果、その差は広がり続けます。
とはいえ、与え続けられても心理負担を感じる。
特に日本人はこの傾向が強いと僕は考えており、もらいっぱなしを続けられる人は、多くない。
結果、僕は日本で最良の選択は、与える量やタイミングを考えた「配慮的ギバー(スマートなギバー)」が良いと思っています。
これは、夫婦関係にも当てはまります。
奥様旦那様との授受バランス
夫が自分を評して「(仕事以外に家事や育児を)まぁまぁやっている」と安易に発言する。
それを聞いた奥様が、この人は何を求められているか分かっていない、と見放される。
古今東西、世にあふれているお話です。
言い換えると、夫側は自分はマッチャー(与えるし受け取る)だと思っている。
対し、奥様側は、夫をテイカー(受け取るばかり)と考えている。
その差は、グランドキャニオンもかくやのレベルで、憎悪に近い言葉がツイッターにはあふれています。
ちなみにツイッターは、ママさんの不満のはけ口として役に立っているな、と僕は見ています。
与える量が多い場合でも、その人の振る舞いも気をつけないといけない。
あくまで自分ができることをやっているだけで、恩着せがましいのは、相手の心理負担になる。
この問題、当たり前ですが、万人に通用する解決策はありません。
各家庭で、深刻度合いも違うし、夫婦間でのやり方も千差万別。
自分をテイカーと思う人はあまりおらず、たくさん受け取っている人でもマッチャーかな、と考える。
実際にマッチャーかどうか測りようがないのですが、仮に「50%テイカー・50%ギバー」の人がいたとします。
人間はたいてい、自己評価が甘い。
そう考えて、自分が最初にこれくらいかなと思った数値に「厳しい係数」をかける。
たとえば、先ほどの「50%テイカー・50%ギバー」に50%厳しい係数なら、「75%テイカー・25%ギバー」と自分を評価する。
すると「あ、自分はまだまだ奥様を含め、周囲に多くをもらってばかりいる」となり、謙虚になる。
本当にやらなくてはいけないのは、謙虚ではなくギバーになる行動ですが、行動しない人が横柄なのは、救いようがありません。
全員がそうだとは思っていませんが、結婚するときの気持ちを思い出してみると、当時は相手を幸せにしたいと思ったのではないか。
それはギバーの精神で、やりすぎちゃってるかなくらいが適当で、それをアピールするのは不適当。
夫婦お互いが、厳しい係数を掛け、自分が動き、かつそれを押し付けない。
相互感謝は、夫婦関係維持のキーポイントです。
与える人の背中を見せる
子どもにギバー(与える人)になってもらいたいと思う親は、いまのご時世、昔より減っているのかもしれません。
超個人主義社会で、会社や家族に頼れる時代でもなく、余裕がなければそこに意味が見出せない。
ただ、子どもを見ていると、人間は人に喜んでもらうと自分が嬉しいのだな、と再認識できます。
疲れた友達がいたとき、手をひっぱってあげる。
泣いている子がいると、そばに行って背中をトントンする。
その後、それを見ていた周囲の大人に「アリガトウ」「えらいね」と言われて、本人は照れてその場から逃げる。
大人でも、だれかから「本当にアリガトウ」と言われると、悪い気はしません。
与える人が減るなら、下世話ですが戦略的にも、希少性が高まります。
世知辛い世の中で、人を助け続けるのであれば、それは差別化ポイントです。
「情けは人のためならず」のことわざは、良い結果は自分に返ってくるという意味ですが、子どもを持つと違う視点も入ります。
困っている人を助ける親を見る子ども。
子どもにとって、それが当たり前の行為だと認識する。
いずれ子どもが、だれかを助ける人になる。
個人的には、まず自己の確立(自立)が、基本だと思っています。
自分のことがチャランポランで、他人を助けても、僕は戸惑いが先に来ます。
助ける行為に、条件や貴賤はありませんが、お金に困っていそうな身なりの人に、お金をあげますと言われても微妙です。
子どもは本当に親の行動や発言に耳を傾けていると、いつも感じます。
「そんな言葉、よく覚えていたねぇ」と思うこともあります。
いまはスマートに卒なくこなす人たちが多くなった時代。
サポート自体も、スマートになったと感じます。
さいごに
貴族がいるイギリスでは「高貴なる義務(ノブレスオブリージュ)」、高い地位の人は一定の義務が伴うことは、一般認知が高いもの。
対し、日本では皇族は存在しますが、華族は残っておらず、基本的に平等社会で階層に馴染みがありません。
それでも、学級委員長、生徒会役員、部活やサークルのリーダー、社会人組織での役職者など、役を担って、人を助けることも出てくるポジションがあります。
そして、いまの若い社会人は、役職者になりたい人が少ない時代。
リーダーは、他人の人生にも影響を与えるので、重責です。
覚悟を持ってリーダーになり、見返りを求めず人に助力できる人は、カッコ良いと僕は感じます。