親が子どものメンターになれるのか

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育児・子供観察

少し前にコーチングとティーチングのまとめました。
その時、頭の隅で「親が子どものメンターとして良いのか」と考えていました。
僕の意見「親は子どものメンターになれる」です。
理由は、メンターの役割と一般的な親が子どもに接する姿勢と、似ているからです。

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親が子どものメンターに向いているのか

親が子どものメンターとして、向いているのか、効果的なのか。
まず再度、メンターの役割を、上げてみます。

  • 成功体験を目指しどうすればよいか一緒に考える
  • ゴールを明確化し、やり方をアドバイスする
  • モチベーション向上
  • 結果の原因分析と反省、次へつなげる

メンターとメンティーの話でよく聞くのが、駆け出しの経営者(メンティー)が、経験豊富な経営者(メンター)にサポートしてもらうケース。
会社の規模に応じて、メンティーがつまずくことや悩みが違い、その時に応じた効果的な助言などをメンターがする。
この場合、「会社経営」という大きな枠組みがあります。

振り返って、親子ではどうか。
親も子は当たり前ですが「人間」という枠組みは同じですが、「会社経営」のような枠はありません。
親子だと、ほぼ「枠がない」くらいの広がりがあるとして、親子メンターは効果的なのか。

親子メンターの物語で、僕が思い出すのが『君たちはどう生きるか』です。

『君たちはどう生きるか』はメンターの物語でもある

15歳の[本田潤一(通称=コペル君)]男の子が主人公の、昭和時代の小説。
コペル君は友達や先輩などとの、その年齢ならではの日常の出来事から、哲学的に考え成長する物語。
本は、主人公の出来事パートと、母方の叔父さんとの文通パートに分かれています。
この母方の叔父さんが、コペル君のメンターとして、さまざまな示唆や気づきを与えます。

作中、こんなエピソードがあります

コペル君「人間て、まあ、水の分子みたいなものだねぇ。」
叔父さん「そう。世の中を海や河に例えれば、一人一人の人間は、たしかに、その分子だろうね。」
コペル君「叔父さんも、そうなんだねえ。」
叔父さん「そうさ。君だってそうだよ。ずいぶん、ちびの分子さ。」

これは叔父さんとコペル君がデパートの屋上から、下を見下ろすシーンでの会話です。
こうした出来事パートもありますが、メンター色がより強いのは、二人の手紙でのやり取り。
叔父さんからの手紙が、メンターらしい言葉にあふれています。

  • まずは、コペル君の行動や考えに、よくそこまで考えたね、と「肯定」
  • 叔父さんはこう考える、世の中にはこういう考え方もあるのような「拡大」
  • 問題提起をして、コペル君はどう考えるかな?と「投げかけ」

メンター的ではないですが、この物語に出てくるコペル君のお母さんも、叔父さんとは違う立ち位置で、コペル君を支えます。
叔父さんは父性的に鍛える、お母さんは母性的に寄り添う。
子育ての枠割分担の、1つの模範解答のような状況です。

この物語は「実父」がではないですが、それに近い「叔父」がメンター。
架空ではありますが、話の筋として納得、現実であってもおかしくないと僕は感じます。
それは、親(叔父)がメンターになれる、と言うこと。

では、親や叔父がメンターだったとして、デメリットはないのか。

親がメンターだった場合のメリット・デメリット

デメリットとして思い浮かぶのが、「関係が近すぎて子どもが親に言いにくい」。
コーチングでは、心理カウンセリングほどではないにせよ、一定、心を開いた方が効果が見込めます。
他人なら気兼ねなく話せる内容も、近親者には言いにくい場合や、環境要因もあります。

たとえば、子どもの性別が男性だと、父親に恋愛話はたいていできません。
僕も思春期頃は自分の父親に、1度も恋愛話をした記憶はなく、親からも絶対に触れてほしくない話題でもありました。
僕の周りも同じで、男の子と父親は思春期から成人くらいまで、ほとんど口をきかない人ばかりでした。

若い時の恋愛話も、子どもを持つくらいの年齢になると、男でもできるようになります。
考えてみると、思春期は自尊心が邪魔していたような、単に恥ずかしかっただけのような。

この点、女の子と母親は、思春期も恋バナに花を咲かせている人たちもいる、と聞きます。
ここは男女の大きな差だと思っています。

メリットで、一番大きいと思うのが、長時間一緒にいる点。
生まれたときから親は子どもの事を知っていて、各年代でさんざん手を焼かされます。
良い面も悪い面も、個人の性格・性質として嫌というほど体感しています。

そうした特質を背景として知っているので、こんなアプローチが刺さりやすいなど、効果的な手を打ちやすい。
また、危険ポイントやNGワードも把握しています。

親メンターの注意点

親側(メンター)が、子どもにメンタリングするときに注意する点を挙げてみます。

  • 自発性を奪わない(与えすぎない)
  • 子どもの疑問に全身で答える(親がわからない場合も含め)
  • 質問はオープンクエスチョン(はい/いいえで答えられない質問)
  • 答えを出さない(失敗が見えていてもやらせる)
  • コントールしない(しすぎない)
  • 共依存にならない
  • 分かった気にならない(子どもでも他人)
  • メリハリ(厳しくするときと抜くときを考える)
  • できることは限られていると覚悟しておく

並べて見直してみると、親が子どもに接するときの姿勢、そのものです。
ということは、冒頭の「親が子どものメンターとして、向いているのか、効果的なのか?」の問い。
僕は「親は子どものメンターになれます、それは子育ての相似形です」と答えます。

親子メンターと、会社の上司部下関係メンターとの違いは、「実社会に即した問題」が主なテーマなのが会社の上下関係。
対して「人として」や「枠がない(限定できない)」内容が、親子メンターの違いだとも思います。

さいごに

先ほど、僕は親は子どものメンターになれる、と書きました。
しかし、親が子どもにアドバイスしたとして、効果がないどころか悪影響になるケースもあると思っています。

親子で何十年かの時代が違い、その間、ルールも変わっている。
現代の変化スピードの速さ、ルールの変化はすさまじいです。

たとえ親がうまくいった経験だったとしても、それが子どもの世代で通用するか考えると疑問です。
それが現実的であるほど、たぶん、通用しない可能性が高くなります。
そう考えれば、親の考え方を押し付けるのは老害になり、その行きつく先は子どもからの無視かもしれません。

親が子どもに話して意味があるのは、「どうやって考えるのか」や「生きる姿勢」、「人としてやってはいけないこと」などの基本項目。
言い換えると、時代が変わっても通用する抽象的な内容が、親メンターとして効果がある内容だと思います。
親は環境を整えて子どもを突き放す、実際の行動は子どもに任せる。

僕は子どもの盾にはなるのではなく、後ろ盾になりたいと思っています。
子どもの人生は子どものもの、不安を抱えても乗り越えるのは子ども。

「いつまでたっても、親にとっては子どもは子ども」という言葉は、まだ僕には実感がありません。
この先「この言葉通り」と僕が感じるのか、未来の楽しみの1つです。