同年代の子どもが、近所にいる安心感。
少子化が進むにつれ、その希少性は上がっていくものです。
人口減少期の日本の中でも、一部地域に人口が集中していく昨今。
僕は人口減少は歓迎している側ですが、それとは別に子どもの経験が昔と違ってきていると思っています。
東京に住んでいても子どもは減っている体感
子どもと一緒に、公園や遊園地など、あるいは子ども服売り場やおもちゃ売り場などに行く。
そこは親子連ればかりの場所なので、子どもがたくさんいます。
ただ、これが日常とは思ってはいません。
街中で1人で歩いているとき。
子どもとすれ違う場面はほとんどなく、道で遊んでいる子どもを見ることも少ないです。
少なくとも、いまの子育て世代の子ども時代より、圧倒的子どもがに減っている実感があります。
僕は東京在住で、かろうじて人口が増えている都道府県にもかかわらず、この実感です。
特に小さな子どもに絞ると、さらにその感は強くなります。
現実的な話として、近くの幼稚園や小学校では、近年クラス数が減っています。
東京都内でも一部の地域では大幅増加で総論は子どもは減っている、と少子化数字からも思っています。
日本全体でもここ20年で20%子どもが減少
都道府県別の、15歳未満の子どもの人数が以下です。
比較対象として、1998年、2008年、2018年の3つの情報です。
出典:都道府県別 3区分 各年10月1日現在人口(政府統計)
2018年の子どもの総数は、20年前に比べ約20%、10年前に比べ10%減っています。
ここ20年で364万人減少しています。
都道府県別に見ると、唯一、東京のみ2018年は20年前も10年前と比べても増加。
と言っても、増加率は20年前比=103.8%、10年前比=102.2%なので微増です。
東京以外では、20年前にくらべ増加している都道府県はゼロ。
沖縄県のみ10年前とくらべ100.4%とギリギリ増加です。
沖縄の合計特殊出生率全国1位は伊達じゃない、離婚率もトップですが。
上のグラフの赤色が濃いところは減少率が高い都道府県です。
東北や四国の減少率が高いと分かります。
日本はすでに人口減少フェーズに入っており、この先は東京もその流れに含まれて行きます。
以前まとめた以下でも、15歳未満人口は、23区すべてで大幅に減少していきます。
近所に小さな子どもがいる安心感
「近くに、同年代の子どもがいてくれるのは、それだけで安心感があります」
これは、僕のお隣さんのママさんの発言です。
そのママさんのお宅のお子さんと、わが家の子どもは2歳違い、わが家の子どもが年上です。
そのママさんご家族は、われわれよりも後にこの地域に引っ越してこられました。
そして、われわれの家族とそのご家族を除くと、このブロックにいる近い年代の子どもはゼロです。
考えてみると、身近に前後3歳までの子どもがいると、情報入手にも役立ちます。
近所の施設や、学校など。
さらに先には、受験状況や、就職も参考値になりえます。
これが10年の差があったら。
使える情報もありますが、毒になる可能性が増えてきそうです。
たとえば、2020年に大学受験が、大きく変わります。
2019年に受験した経験が、2020年以降にどのくらい効果的なのか。
10年前の就職状況と、いまの就職状況にいたっては雲泥の差。
伸びている業種も違えば、就職するしないの発想自体が変わっている。
昭和時代のように横並びなら、10年程度であれば参考になりそうですが、いまの時代のスピード環境では情報の陳腐化速度も速いです。
身近に少しだけ年上の子どもがいれば、たとえそれが1個人の経験でも、参考値としては約に立つ可能性があります。
たくさん子どもがいればよいかと言えば、もちろんデメリットもでてきます。
東京の湾岸地域は特殊な場所
知り合いに豊洲のタワーマンションに引っ越していった小さな子どもがいるご家族がいます。
人口増加中の、オリンピック選手村需要もある、あの高層ビル群です。
そのご家族の後日談を伺って、想像通りだったのが、保活(保育園入園活動)は熾烈を極めたと、疲れ切った表情で語っていました。
先にある、小学校の定員問題も既定路線、これは私立小学校進学の動機にもなりそうです。
ただ、豊洲では周りには同年代の子どもがたくさんいます。
高層マンション敷地内の公園には、ちいさな子どもが遊具を取り合っている。
違うのは昭和時代のように、ガキ大将がいたり、幅広い年齢層の子どもの多人数集団で行動するようなことはなさそうですが、子どもがいる風景はそこにはあります。
そして、豊洲は一定ラインを超えた所得層が集まっている地域。
「意識高い系」のカテゴリーと捉えるのかもしれませんが、情報収集や「モノではなくコト」を重視する人も多いと想像できます。
いまは死語に近いのかもしれませんが、湾岸地域は新興住宅地。
人が増加している地域ならではとしては、豊洲を通りがかったときに感じた幼稚園の都会さを思い出します。
ある時、豊洲に用事があり、徒歩で歩いていたところ、幼稚園の横を通りました。
その幼稚園は新設で、外壁が塗りたてのペンキの匂いがただよってきそうなくらいピカピカ。
敷地は東京らしくそれほど大きくはなく、地面は土ではなく、全面(4方角とも)ネットで囲まれています。
そして、一番印象的だったのが、入り口がカードセキュリティ式の自動ドア式で、監視カメラは複数台設置、警備員が立っている。
これは僕が生まれ育った、ある地方と比べると隔世の感です。
牧歌的な昭和時代は、入り口の門も、常に空いているような状態。
夜間はさすがに閉めていたと思いますが、1メートルちょっとの高さの門は、防犯としてはザル。
僕は中学高校時代、友人と夜間に門を超えて、校庭で遊んでいた記憶があります。
多分、いまはそんなことをしようとする人も少なく、それを学校側も許さない社会風潮だと思っています。
さいごに
子どもの話ではないですが、豊洲に約10年前に移り住んだ友人の言葉が、僕の頭に残っています。
それは「移動は原付バイクが一番楽」という一言。
豊洲は公共交通機関が、人口増加を吸収し切れておらず、地下鉄の駅に入るのに渋滞、バス乗り場も長蛇の列。
しかも、人口はまだ増え続けている。
大人側は、自分たちが選んだ場所なので文句を言うのも筋違いかもしれませんが、通勤を考えると過酷な環境だと思って聞いていました。
引っ越し先の選択権が、ほぼゼロの子どもは、豊洲に住んでいてどう思うのか。
良いも悪いもなく、住めば都なのだと想像しています。
子どもには比較対象が少ない、またはゼロでもあります。
子どもにとって、どんな地域環境が良いか。
1つの正解がない問いで、昔もいまもこの先も、普遍的な話題です。