叱られない時代の自制心の重要性

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育児・子供観察

人に厳しいことを言われる機会が減りました。
パワハラ的なものは論外ですが、耳の痛い評価をだれかから受けなくなったのは、プラスに結びつける機会が減ったと言えます。
他人に「指摘してトラブルにならないか」と、リスク回避思考を考えて発言を控えるシチュエーションが増えと自分でも感じます。
そうなると、自分で自分を律する重要度が上がってきます。

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マシュマロ実験とその後

以前、このブログでも文章化した有名な「マシュマロ実験」。

自制心が強いことは複利マジックのようなもの
自分の子どもに「自制心を持った大人になってほしい」と思う親は多いでしょう。 親側である自分が、その自制心が足りずについ子どもを叱ってしまう。 その反省からも、そう思うのかもしれません。 有名なマシュマロ実験と、残酷な真実になる可能性のあるそ...

一言で言うと「幼少期、目の前のマシュマロを食べるのを我慢できた子はその後も成功している」と言うものです。
調査結果では、自制心を子ども時代に持っている度合いによって、大学入試(SAT)の点数が高い結果になりました。

その後の追跡調査でも、45歳時点でマシュマロを我慢できた子は良い傾向が継続している。
我慢できた子どもの脳では、計画・社会行動の調節に関係する前頭前皮質が活発に働いている点が計測されたとのこと。

この有名な実験には反対検証もあり、以下マシュマロ実験の再現に失敗としています。

・母親の学歴で絞ったところ、計測結果が1/10に減少
・家族背景(人種)、早期認知能力、家庭環境を対照とした場合は2/3に減少
・子どもの成功要因は自制心よりも「社会的・経済的環境」である

出典:Revisiting the Marshmallow Test: A Conceptual Replication Investigating Links Between Early Delay of Gratification and Later Outcomes(Sage Journals)

マシュマロ実験の反証はありつつも、普通に考えて例えば酒浸りの人と、自制心がある人でどうなりやすいかは想像がつきます。
以下、自制心が健康や資産などにどう影響しているかの研究結果です。

自制心の低い子どもは自制心の高い子どもたちに比べて大人になってからの状況は以下。
・健康状態が悪い
・資産が低い
・ひとり親で子育てをしている割合が多い
・有罪判決を受けている割合が多い

出典:A gradient of childhood self-control predicts health, wealth, and public safety(PNAS)

メタ認知のスキルが重要

あらためて「自制」の言葉をコトバンクで調べてみると以下です。

自分の感情や欲望をおさえること。

出典:自制心(コトバンク)

これだけ読むと、息苦しさ的な感覚も持ちますが、何をするにしても過渡期はあります。
積み上げ段階は楽しくなく、それでもそこを超えないと目的達成できない。
つまらない時間だったとしても、自分を鼓舞したりしてコントロールし、その先で果実を得る。

自制心がない人の特徴を上げてみます。
・目標がフワッとしている
・先延ばし
・言い訳
・本気ではない
・振り返りをしない
・管理系が苦手
・長期視点ではない
・感情的
・調和が苦手
・ストレス耐性が低い

上記を反対にとらえるなら、メタ認知スキルが高いことでもある。
メタ認知は最近よく聞く言葉になりましたが、内容を考えるといまも昔も変わらず、重要な資質です。

子ども時代の夏休みの宿題は、自制心を判断するとき、典型的な例になります。
計画的に早めに終わらせるか、最終週に焦って片付けるか。
「追い込まれないと自分は本気が出ない」を武勇伝のように語る大人がいますが、プロの世界では通用しません。

状況を冷静に把握したり、自分の気質を俯瞰的に眺めたり、過去の失敗から学んだ再発防止策も含めアクションを決める。
全部がうまくできるわけではありませんが、子ども時代から少しずつチューニングし続ける人は自制心がある人です。
そして、その子が一般的には「見ていて安心」と言われる部類に属します。

ただ「見ていて安心」は、目的ではありません。
その子が自分の目的を達成するために、淡々と積み上げている他者目線であり、ゴールは自分の目標達成。

子どもの受験はメリデメがありますが、人と違う場所に行きたいのであれば、その権利を得るための自制と努力は不可欠です。

大人になったらだれも叱ってくれなくなる

2023年、イチローさんが高校球児に以下のお話をしています。

指導者がね監督コーチ、どこ行ってもそうなんだけど厳しくできない。厳しくできないんですよ、時代がそうなっちゃっているから。導いてくれる人がいないと楽な方に行くでしょ。自分に甘えが出て結局苦労するのは自分。厳しくできる人間と自分に甘い人間、どんどん差が出てくるよ。できるだけ自分を律して厳しくする。

昭和時代から平成あたりまで、運動部では特に鬼監督にしごかれた話があります。
僕も昭和時代、この経験をしており、たとえば38度以上の発熱状態でも、部活を休ませてもらえませんでした。
いまであれば盛大に炎上しますが、当時はそれが当たり前で、教師も生徒もそこに違和感を持てていませんでした。

しごきスタイルは、能力向上手段としても、つぶれる(つぶされる)人もいる点でも、やり方として間違っています。
「歯を食いしばって」論を強要する人もいますが、まずは本人意思が優先で、他人強制は悪手です。

半面、それによって底上げされた人がいたのではないかと、自分の周囲を見ていて感じる部分はあります。
重要な点なので再度書きますが、手段が間違っているので根性論を肯定しているのではありません。

メンバー能力の底上げを目指すとき、その人の適正・状況によって手段・方法は変わります。
わずかな上位層の人は、自分で考えて修正し自走していくので、口出しせずに求められたとき以外、放置が理想。
不用意なサポートは彼らにとってマイナスになり、ギフテッドなどの貴重な芽を摘んでしまう懸念もある。

下位のやる気がなかったり、能力的に厳しい層にも、強制的にやらせ続けるのは挫折する可能性が高い。
「できない」「やれ」「どうやるかわからない」「やれ」は、バッドシナリオです。

上位層でも下位層でもなく、最多人数が属する中間層は外圧がなく自分で歩き続けられるかがこのお話のメイン層です。
この中間層の成長を目指すとき、他者サポートは効果的だったのかもしれないと、昭和時代の鬼部活動を経験して思い立る要素があります。
ただ、これはいまはできない。

いま、部下に厳しく言う上司はほとんど存在しないと、自分も周囲を見渡しても感じます。
リスクをどこまで背負うのかと成長させたいとしても、このバランス感覚が相当難しい。
パワハラ認定やメンバー離職など、自分の評価が著しく下がる要素がたくさん地雷として埋まっている。
それゆえ見て見ぬ振りをしたとして、それが間違っているとは言えないのではないか。

上司や他者が厳しいことを言えないのであれば、本人が自分を律して、成長していくしかない。
能動的に足腰を鍛え続けた人と「自分は褒められて育つんです」と言う人の長期的な差は計り知れません。

「環境が重要」なのも、ここでも生きてきます。
自分と闘うことが当たり前と考える人たちの中にいられれば、自分も向上しなければドロップアウトになる。

「自己責任」と言う言葉が、最近、悪い意味でよく見聞きするようになりました。
まじめに働いても人生が上手くいかず、それを自己責任と切り捨てられるのは確かに世知辛い。
反面、成長は自己責任と考える人たちもいる。

大人になったら、だれも叱ってくれなくなります。
さらにいまは子ども時代でも叱ってくれる人は減っています。

僕は子どもを持つ親として、子どもに対し「適切な厳しさ」で接する重要性を感じています。
そして子どもに自制心を持ってもらうのは、昔よりも重要度が上がっているとも感じています。

さいごに

日本には、元日に1年の計画を立てる意味の「一年の計は元旦にあり」の言葉があります。
僕は別に元日でなくとも良いと思っていますが、正月の仕事のまとまった休みにゆっくり自分の時間をとるのは1つの方法です。
ちなみに計画倒れは無意味ですので、計画を立てた後の着実な遂行こそがポイントです。

自分の自制心が弱いと判断するなら、だれかに今年の目標を宣言して、逃げ道をふさいでおく。
大人になると仕事での目標設定以外、立てることがありませんが、目標の他者宣言は達成に近づく有効な手段です。