セレンディピティもうまく利用する

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育児・子供観察

偶然の出会いを指して、数年前に流行った言葉のセレンディピティ。
いつもと少し違う事をして世紀の発見をした、などを指している言葉です。
コロナ過では人と会う機会が減少し、対人コミュニケーションで巡り合う偶然が減少しています。
とは言え、偶然はどこにでもあるもので、わが家は図書館の返却棚もその1つです。

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コロナ過で7割~9割が面会減少

コロナ過で、人と会う機会が減ったアンケート結果が以下です。


出典:外出自粛期間の不安(株式会社メンヘラテクノロジー)

上記のアンケート回答者は、10~60代の男女591名。
幅広い世代が対象です。

「大幅に減った」と「やや減った」を足すと87%。
「ほとんど変わらない」人がいるのは想像でき、人と接する仕事の人はこれに当たります。


出典:離れて暮らす親とのコミュニケーションとみまもりサービス(株式会社ミクシィ)

次に親に会う頻度がコロナ過で減ったかの結果です。
「とても減った」と「やや減った」を足すと70.9%。
1つ上の幅広い世帯の人と会う機会が減ったか合計より、約2割少ない。

親との会合機会は、親の余命が予測されている場合など、通常で人と会うのに比べると緊急度が変わります。
親子世帯が、コロナ過で行くところに悩み、子どもの閉塞感対策として実家帰省も思いつきます。


出典:モチベーションに関する調査(月刊総務)

最後に会社員に絞った、対面機会の減少結果が上記です。
「とても減った」と「やや減った」を足すと94.5%。

大人同士で仕事なので、会社内外問わず人と会う機会をコントロールしやすいの結果です。
営業職が、会社方針で顧客訪問を控える話はよく聞きます。
社内でも歓迎会や忘年会、日常的な飲み会が減ったのを筆頭に、多人数での会合は減りました。

制限される行動

会合が制限される世情になり、いままで習慣的にやっていたが必要か悩ましいものが見える化されました。
会社の飲み会が筆頭ですが、これまで「必要性を考えたことがない、慣習としてやっていた」ものが顕現化されたとも言えます。

同僚と飲む行為が好き、日ごろの愚痴や世間話をした人にとっては、飲み会減少はマイナス要因です。
僕の身近にも飲みニケーションが好きな人はおり、コロナ過になって頻度と人数は絞りつつ、飲み会をやっているそうです。

逆に、飲み会の場で気を使わないといけない立場、若い人たちなどは、そもそも飲み会不要論者が増えている。
そういう人たちにとって、コロナ過は福音です。

コロナ過で制限される行動の頭文字を並べた「STRESS」があります。
S=スポーツ
T=トラベル
R=レクリエーション
E=イート
S=シンギング
S=サケ

流行に関して作られる造語のようですが、いつも通り同意できるものと微妙なものがあります。
イート(食べる)は、レストランに行く機会が減りましたが、取り寄せや内食の充実化など違う面も出ている。
シンギング(カラオケ)とサケは、もともと減少傾向。

スポーツやトラベルはコロナ過で減少したイベントとして、納得度が高い。
密を避ける意味で、プレーヤーとしても観客としても、機会が減りました。

上記以外に、中途社員・新入社員の状況を考えてみると、配属されたチームメンバーや関係者との接点が減っています。
他人との接点減少とつなげるには強引ですが、人に関してはセレンディピティ機会が減っていると感じます。

セレンディピティとは

求めずして思わぬ発見をする能力。思いがけないものの発見。運よく発見したもの。偶然の発見。

出典:セレンディピティ(コトバンク)

セレンディピティの現実例が以下です。

ダイナマイトの発明
電子レンジの開発
コカ・コーラの開発
ペニシリンの発見
ポストイット

仕事でずっと懸案だった、良い解決策が見つからない課題があったとします。
重要な課題で、何とかしたいと模索を続け、自分で考えたり関係者に相談しても妙案は出ず。
それがある時、仕事とは別の分野の何かを見ていた時にひらめく。
昔の言葉なら天啓です。

運よく発見するは言葉が正しくはなく、そこに課題視点がなければ発見も見逃します。
自分の足がずっと痛い人は、原因や緩和・根本治療など、見聞きするものをその視点でぼんやり考え続けています。

セレンディピティの直接要因になるか微妙ですが、新たな発見のきっかけの1つとして、人とのコミュニケーションがあるとします。
僕はコロナ過で、フルリモートワークになりました。
仕事の振れ幅が減少したと感じており、時間経過でよりその認識が強くなりました。

物理的な会議や、お客様先への移動時のメンバー間雑談、お客様との面会。
そうした、直接的に利益とならない時間がなくなりました。

何かをひらめくのは、自分の頭の中なので、対人関係はそのきっかけの1つではあります。
きっかけは対人コミュニケーションのみではなく、本や自然の中にも存在します。
その1つの、対人接点が減るイコール、そこからのきっかけが減ります。

時代を考えてみると、他人と深くかかわらない姿勢も、相乗効果として影響している。
セクハラ・モラハラ・パワハラなど、いまは相当に気を遣うため、リアルで人との接点が少なくなっています。

図書館でのセレンディピティ

僕は、わが家の子どもとほぼ毎週1回、近くの大きな図書館に通っています。
幼児の頃は図書館の館内で座って本を読み聞かせるもしていました。
理由は、大型の紙芝居などは持って帰るのが手間なので館内で閲覧、それ以外に自宅で読む用に、週に10冊前後借りていました。

最初は、子どもの好きなジャンルの本を手当たり次第に借りる。
その中で、この作者が好き、この絵を描いた人の別の本が読みたいなどの好みが出てくる。
成長とともに好きな作者が変わったりしますが、絵を見ただけであの人の本だ!と分かるのも一興。

たいていの本は借りてきて、1回読んで終わりですが、好きな本は何度か読み聞かせをせがまれる。
返却を渋るくらい好きな本は、たまに自宅用に購入もしていました。
著者への印税を考えると心が痛みますが、図書館を大いに活用しました。

ちなみに、東京23区内の全図書館が対応しているか不明ですが、同じ区内に所蔵されていない本でも、他の区から借りられるシステムがあります。
最寄りの図書館の窓口で借りたい本を相談して、図書館の人が別の区の図書館に問い合わせして、あったら転送してもらうシステム。

他にも、わが家は自分が住んでいる区ではない、隣の区の図書館カードを作成していました。
区によって若干ですが、得意分野が違っていることを知り、気分転換を兼ねてたまに違う区の図書館にも足を運びました。

それでも毎週、図書館で本を借りていると、だんだんネタが尽きてきます。
子どもの好きなシリーズやジャンルの本が減ってきたとき、僕は返却直後の書籍が並べられている、返却架をみつけました。

いつも見慣れている児童書籍の棚には、だいたいどんなものがあるかは分かっている。
返却架には、まだ所定の書籍棚に戻される前の未分類状態の本が並んでいる。
ここに、新たな出会い、偶然を求めました。

新たに、子どもの興味が持てた作者や、新ジャンルを発掘できた時は成功。
世紀の発見とは無縁のわれわれ親子だけの局所話ですが、気持ちはセレンディピティ。

反対に、借りてはきたが自宅で一度も開くことがなく、返却される本もありました。
同じジャンルでも、絵柄やトーンが微妙に気に入らないと、手に取ってもらえない。

慣れたころに、新たな発見をするために、何かを探す。
人生を楽しむコツの1つが、わが家では図書館にもあったというお話です。

さいごに

旅の目的は、人それぞれです。
日常があまりに忙しい人が、とにかく何もしない時間を浜辺で過ごしたいのも1つ。
わが家の隣家の奥様が、昔、育児ワンオペで死にそうになった自分へのご褒美に、子どもとグアムに行って、グアムで子どもをホテルで預かってもらい、奥様は一人プールサイドでぐったりしていたお話を聞いたことがあります。

別の目的としては、新たな発見や出会いも、理由として一般的です。
自分が好きなジャンル、たとえば世界遺産巡りや史跡に行き、往時の片りんに触れる。

僕にとって旅は偶然性を求める要素が強く、できるだけツアーを使わず自分で動いていました。
そうすると、トラブルになる確率も上がり、実際に困った状況になったこともしばしば。

ただ、振り返ってみるとそのトラブルと解決が、記憶に強く残っています。