いつもと違った地点からものを眺めると、気づくことがある。
試しに世界地図の中心を変えてみると、違う国の当事者として、ものを考えることができます。
視野を広げることや、俯瞰や鳥瞰のような客観視点の重要性は、いわずもがな。
頭の中で考えることに、制限はありません。
年齢とともに見るものが変わる
僕は子どもを持って変わったことの1つに、いままで見ていなかったものが、少し見えるようになりました。
細かく言うと「父親になったから」でもあり、単に「年齢的にオッサンになった」面もあります。
父親になって、子どもと公園にいくと、少し離れて見守る機会(時間)が増えます。
この余白時間が、いままで考えなかったことを考える時間となる。
地面に落ちている石を何気なく手に取ってみて、こんな色や肌触りだったんだ、と気づきます。
年齢的な面では、「全身で前進」のように、とにかく走り続けるのが20歳代とします。
どの年齢かは人それぞれですが、がむしゃらにやる「量」から、厳選した「質」にいろいろなものがシフトしていきます。
子どもを持った場合は特に、乳児期の圧倒的な時間の足りなさもきっかけの1つです。
睡眠時間確保のため、やらないことを決める覚悟とその経験から、外部圧力的ですが「質」を意識するようになります。
これは言い換えると、経験を生かした成熟や円熟と呼ばれるようなもの。
僕はいま紆余曲折を経て、「丁寧に」という姿勢を意識するようになりました。
丁寧の先にいる子どもの視線
いままで数十年生きてきて、雑に物事を進めて失敗する経験をたくさんしました。
遅まきながら、「急がば回れ」の言葉の意味するところがハラオチ、丁寧が一番近道という境地の入り口に立てた気もします。
付け加えると、すべてが丁寧というのではなく、力の入れどころと抜きどころのバランス、これも経験のなせる業です。
それとは別に、子どもの親として「子どもに背中を見せる」点もあります。
わが家の子どもが親の僕を見て、いい加減すぎるとよろしくないのでは、という想いです。
子どもを感情的に怒ってしまったり、足でものを移動させてしまったり、反省点は日常茶飯事。
自己弁護するなら、日ごろ「まぁまぁ」しっかりやっている親がたまに失敗する、子どもが人間の不完全さを知る機会・・・苦しい言い訳です。
それでも、何でもできる優等生、そんな親になりたいかというと、僕はNoと答えます。
丁寧な生き方を心掛けていると、いままで目に映っていても、脳に入っていない情報があったことに気づきます。
通勤途中の道端に咲く花は、色鮮やかなので若いころにも認識したとしても、葉っぱや幹をじっくり見たことがないように。
華やかな目につきやすいものばかりに目を奪われ、それを支える地味で土台のようなものに気づかなかった。
そんな浅慮の一例として、僕は「保育士さんの偉大さに気づけていなかった」点があります。
ありきたりのお話ですが、僕は子どもを持つまで「保育士さんは子どもが好きな方が就く、好きなことと実業務が近い楽しめる職業」と考えていました。
一面性というか、自分の固定観念に縛られた、典型的なバカオヤジです。
自分が子どもを持って、子どもと接して、それがいかに精神力・体力が必要かを実感。
保育士さんは、そんなコントロールできない怪獣を、一度にたくさん、全員の安全に配慮しつつ、モンスターペアレントにも気を付けつつ、保育的なことも考えて、楽しませる。
高度なマルチタスク、プロフェッショナルサービスだと、実際にお世話になったことも踏まえ、いまは感謝しきれない存在です。
状況が変わったり視点を変えると、世界が違って見える。
保育ではないですが、世界地図を見ていて、そんなことを考えたことがあります。
地図の中心を変えると見えてくるものがある
日本人が一番よく見る地図が以下だと思います。
地図の中心が日本。
右側に太平洋とアメリカ、左側にアジアとヨーロッパ、アフリカ。
見慣れた地図であまり違和感もない、特別な事情がなければ「いつも見ている地図」くらいの感想かもしません。
次に、経度0度、グリニッジ天文台がある場所が中心の地図です。
この地図は多分、日本人の中で2番目に見る機会が多い地図だと思います。
ですが2番目というのは、1番目と大きな差があるのが世の常。
たとえば、日本で一番高い山が富士山は常識ですが、2番目に高い山「北岳(きただけ)3,193m」を答えられる人は少ないのと同じ。
日本が「極東」と呼ばれる所以の地図です。
イギリス中心の、大英帝国の名残を感じます。
次にアメリカ中心の地図です。
南北アメリカがありますが、ここではアメリカ合衆国を中心と考えます。
眺めてみると、アメリカは太平洋と大西洋に挟まれた立地。
ヨーロッパのように地続きで、侵略ばかりだった歴史とは逆、堅固な浮島をイメージします。
堅固といえば、アメリカにとって重要な同盟国が、左右両側に控えている。
右側にイギリス、左側に日本。
アメリカにとって日本が、戦略的立地なのが分かります。
そのアメリカと覇権を争っている中国。
中国視点で見て、日本が「蓋(ふた)」と見て取れる地図が以下です。
東アジアの地図を「-90度」傾けています。
この地図を見ると、南北に長い日本が、中国が海に出ていくときの「ふた」になっています。
通常地図では気づきにくいかもしれませんが、この地図を見ると、中国の日本に対する複雑な思いも抱くのも分かる気もします。
地図は見方(中心)を変えると、視点が変わる良い例です。
頭が固いと楽しめない
地図の中心点を変えたり、角度を変えることに意味があるのか。
意味がないと言う人は、頭が固い人か、とてつもなく頭が良い人かもしれません。
頭の良い人は、わざわざ地図を回す必要もなく、思考の飛躍ができます。
全人口の上位2%のIQ持ち主であるメンサ会員のような人でなく、僕も含め一般人は、いままでとは違う地図を見てひらめく。
この新たな発見をしたときの感動のようなものは、他に代わるものを見つけるのが難しいもの。
日ごろは、見て見ぬふりするような、本当に大事な、例えば「自分にとって大事なものは?」というようなお題があったとします。
このお題でGoogle先生に聞く人は少ないかもしれませんが、まずは自分で考えてみる。
少し難しいと思っても、少し時間と心の余裕を持って、あきらめず考え続ける。
あれも使えるのでは、これは有効なのか、こんな切り口はどうか。
その結果「これかも!」とたどり着いたときは、自分の大きな財産になります。
体のような物理に縛られたものは限界がありますが、考えることは自由自在です。
教育の進歩主義化を最初に唱えた、思想家ジョン・デューイ教授も、以下の発言をされています。
「この世で最も大事な自由とは『知の自由』であり、それは知的な活動でしか得られない」
さいごに
子どもを持ったことがない人が、初めての子どもを授かったとします。
その人に、子育ての楽しさをアピールしてくる人がいたら、話半分で聞き流すくらいがちょうどよい。
「子どもの寝顔を見れば、疲れも吹っ飛ぶ」というのも、多分「そう思わないとやっていられない」くらいのお話だと思っています。
子育ては充実感を得られますが、つらい時間が長いのも現実だと僕は思っています。
ただ、それをつらい時間と捉えるかは、考え方次第。
たとえ、楽しいや嬉しい時間が短くとも、その濃度はかけがえのないものだと感じます。
子どもといられる時間はそんなに長くない、後悔先に立たずの例として、よく聞くお話です。