子どもへの本の読み聞かせメリットは、いろいろな場所で聞きます。
その中の1つの語彙力拡大は、人としてベース能力であり、のちの人生に大きな影響をもたらすと僕は考えています。
父親による読み聞かせが母親と違った好影響があるという調査結果はあれど、実際は読み聞かせを行っている父親はそれほどいないようです。
僕は自分がわが家の子どもに読み聞かせしているとき、ふと自分の自意識の変化に気づきました。
ハーバード大学の研究結果ではパパの読み聞かせは効果が高い
ハーバード大学のElisabeth Duursma博士による調査結果では、父親の絵本の読み聞かせは母親とは違った効果があると出ています。
男性(父親)と女性(母親)では、絵本の読み聞かせ方に違いがある
母親は絵本に出てきたりんごを「何個ある?」と事実について質問する
父親は絵本に出てきた内容と子どもの実際の経験をむつびつけようとする
絵本に「はしご」がでてきたとき、実際に子どもが「はしご」に登った経験を話し合う
これが子どもの考える力や興味を引き出す、また語彙拡大につながる出典:Bedtime stories – ‘it’s better if dad reads them’(Telegraph)
上記のハーバード大学の研究結果は、「父親優位」ではなく「やり方」のお話と取れます。
「実際の経験を引き出すこと」が重要なのであれば、それを意識して読み聞かせをすればよい。
それは父親しかできないのではなく、母親でもできる。
一般的に、母親は事実に目を向けがちなのを、経験に目を向ければよい、となります。
一般論では父親優位だったとして、日本ではどの程度の父親が読み聞かせをしているのか。
少し古いデータですが、2010年の厚生労働省アンケート結果が以下です。
出典:第6回21世紀出生児縦断調査結果の概況(厚生労働省)
父親のうち絵本の読み聞かせを「よくしている」の割合は8.2%。
たいていの方の認識通り、父親より母親の方が読み聞かせに積極的という結果でもあります。
近年の数字を見つけられなかったのですが、育児参加している男性が増加しているので、いまはこれよりは高い数値のような体感値もあります。
図書館の絵本読み聞かせ部屋では3割程度は父親と子ども
以前にも書きましたが、僕は自宅近くの大型図書館をよく利用しています。
この図書館には、靴を脱いで絵本を読む部屋があります。
週末には、その部屋はたくさんの親子が、集まってくる場所。
その中で一番多い組み合わせは「母親と子ども」のペアで半分くらい。
僕の観察では、2位は「父親と子ども」で3割割くらいだと思っています。
図書館は一般的には静かにする場所ですが、この部屋は読み聞かせの部屋。
あちこちで絵本読み聞かせが飛び交う、なかなかにぎやかな場所です。
それぞれ思い思いに、子どもの好きな絵本や紙芝居を読み聞かせています。
そこに僕とわが家の子どもが入り込みます。
座る場所をまず探す。
部屋の角があいていたらラッキー、素早く場所取りします。
好きな絵本を選んで、読み聞かせを始めます。
子どもの集中力はそれほど長続きしません。
しばらくすると、わが家の子どもも自分が読んでいる絵本ではなく、隣のお父さんが読み聞かせしている紙芝居をじーっと見たりもします。
その逆で、知らない子どもが、僕が読み聞かせしている絵本を、絵を見ながら僕の話を聞いている姿も、自分の視界のはじで感じます。
子どもを持つ前は他人に本を読む機会はない
保育士さんや、教育関係者は、自分以外の人に本を読み聞かせる機会はたくさんあると思います。
しかし、大半の人は「人に本を読むシチュエーション」はないと思います。
親しい友人同士が、情報共有として同じページを見ることはあっても、それは限定的なもの。
電車で自分が読んでいる本や雑誌を、隣に座っている人がこそっと見ている気配を察すると、違和感を感じるのが一般的でしょう。
これは自意識過剰といえば、そんな気もします。
それが子どもを持つと、人と本をシェアする機会が出てくる。
正確にはシェアしようとしているのではなく、いつの間にか参加しているようなイメージ。
知らない子どもが、僕の読み聞かせている本に興味が出てきて、最初は少し離れてみているがちょっとずつ近づいてくる。
そろりそろーりと近づいてくるのは、微笑ましい。
いつの間にか僕のすぐそばにちょこんと座って、真剣に絵に見入っている。
そういう子どもたちを見ていると、いまその子の頭の中でたくさんの冒険が動いているんだろうなぁ、と思っています。
自分が、わが家の子どもの読み聞かせをしている時点で、自分の枠を超えて自分以外に何かをしている。
それがわが家の子ども以外も入ってくると、さらにその枠が広がるとします。
それを俯瞰的に考えると、自分が守っている境界線がぼんやりと薄くなるような感覚。
子育てしていると、こうした自分を消すようなシーンが圧倒的に増えます。
これを僕は「自意識の希薄化」と、考えています。
独身時代には他人、たとえば恋人だったとしても、一定の境界があったように記憶していますが、子どもができるとそれが薄まる。
それは「鮮やかさを失う」のではなく、「透明感が増す」と捉えています。
さいごに
子どもが一番乗りを競い合って、我先に走っている姿は、見ていてほほえましい光景です。
自己中心的とも取れますが、幼少期の友達をも押しのけて「われ先に」は、社会性や競争意識を養う意味でも僕は重要だと思っています。
運動会でみんなが手をつないで一緒にゴールするのは、正しく競い合う力をそぐと思っています。
子どもの頃は自分が地球の中心。
そこでしっかり自己肯定感を育て、失敗で凹んだりして、そこから立ち直る経験も繰り返す。
そのうち、自分以外のだれかを本気で考えるケースも出てくる。
赤や黄色の原色から、少しずつ淡い色に変化して、やがてどこにでも溶け込める透明性をも持つ。
「色即是空」の「色」は「物質的なもの」、「空」は何もないのではなく仮に和合したもの(仮和合)。
子どもといると考える暇な時間も膨大にあるので、こんなとりとめのない内容も考える余裕がたくさんあります。