かかえているモヤモヤがスッキリする方法

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育児・子供観察

「そうなんだよ」と目の前がクリアになるような文章に出会うことがあります。
自分の中で言語化できていないモヤモヤした考えを、的確に表現されている文章。
少ない経験数だが他の何かではなかなか替えがきかない。
少し特殊な事かもしれないが、これも読書の効用だと思っています。

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読書のメリット・効用

世の中でよく言われていることも含め、個人的に読書の効用は以下と考えています。

①視点の変化
②著者の視点/濃縮された考えや思想に触れられる
③時間/費用当たりで得られるものの多さ
④脳活性化・アルツハイマー予防
⑤リベラルアーツ
⑥言葉に対するセンスを磨くことができる
⑦楽しみ(エンターテイメント)

粒度がバラバラですが、人生を切り開いて行く上でとても重要なことばかりな気がする。
中でも①や②は他で置き換えることが難しい。
個人的には⑥も重要で、武道の守破離ではないが一定の経験値(=読書量)がないと、そもそも言葉や文章が良いのか悪いのかさえ判定できないと思っています。

 

読書量:多く読むことが必要なのか

日本人の読書量

1か月に本を1冊も「読まない」
出典:平成 25 年度「国語に関する世論調査」(文化庁)

 

総論として右肩上がり=1冊も本を読まない人が増えているといえそうです。
世間では「活字離れ(特に若者の活字離れ)」と言われているが、個人的には思ったほど数字が悪化しているとは感じませんでした。
16~19歳に至っては、2008年と2013年を比べ、2013年の方が良くなっています。
若者はスマホ中毒と言われることが多いですが、これは意外なデータでした。

 

2013年世代別テレビ視聴時間
出典:平成 25 年度「国語に関する世論調査」(文化庁)

10台の若者に比べ、他の世代の方が割合が悪化しています。
特に70歳以上は余暇時間が多いと思っていますが、テレビ視聴が多いというデータから、あまり読書に時間を費やすことではないようです。

 

日米大学生の読書量比較

別の視点だが、以前読んだ以下の「日米大学生 読書量比較」という記事が頭に残っています。

「日本の大学生は4年間で100冊しか本を読まないが、アメリカの大学生は400冊読む。ハーバードやエールでは1000冊は読む」「日本の大学生は学外での勉強時間が1日平均で1~2時間であるのに対して、アメリカの大学生は1日6~8時間勉強する」という実態報告などである。

出典:大学4年間で読む本の数、日本は100冊、米国は400冊 (日系ビジネスオンライン)

 

なぜこの記事が記憶に残っているかというと、その前段として2014年頃に一部で流行った「ハーバード白熱授業」というものがあります。

この授業、僕にとってはとても印象的でした。

米国のすべての授業がこのような形ではないとは思いますが、授業が「討論のみ」で終わっているのです
(実際は授業時間が延期しているのか、討議のみなのかは不明です)

毎回、マイケル・サンデル教授がテーマを出す。
たとえば「戦争に行く兵士についてお金を出せば代理出征できるシステムは正義か?」
たいていの場合、最初に学生にYesかNoの挙手をもとめ、それぞれの立場の学生をどんどん当てて発言させて行く。決してYes/Noのどちらが正しい、という促しでなくサンデル教授はファシリテーション(流れの整理)に終始。

学生の発言の中からキーワードをピックアップし、さらに話を展開していく。
授業時間が終わるころ、(多分)確定ゴールではない締めの言葉で授業が終わる。

日本人は「ディベートが弱い」といわれるが、当たり前と思ってしまいました。
米国の大学生は学生時代、意見/人種/立場の違う人々と、これだけ濃密な時間を過ごしています。
受身が全て悪いわけではないが、発言すべきときに発言しないのは現代社会・ビジネスにおいて、存在価値がないという視点での話しです。

話が逸れたので戻します。
この「ハーバード白熱授業」に興味を持ち、それ以降の関連記事などを眺めていたときに、以下の情報に出会った(詳細は不明、僕の記憶からたどる)。

授業は討議形式だが、授業までに読む書籍数がとてつもなく多い

学生たちは時に哲学書や技術書、一般社会情報など、膨大なバックボーンを持った上で授業に挑んでいます。
その読書量は睡眠時間を削る必要がある学生が大半との事だった。

最近の日本でも、以下のような動きはでてきています。
教育の形態が大きく変わっていこうとしています。

反転授業
従来の授業と宿題の役割を反転させた授業の形態。デジタル教材などを利用して自宅で知識を習得し、教室では知識の確認や問題の演習などを行う。

出典:反転授業(コトバンク)

アクティブ・ラーニング
教員からの一方向的な講義で知識を覚えるのではなく、生徒たちが主体的に参加、仲間と深く考えながら課題を解決する力を養うのが目的。そうした力を養う授業手法として、議論やグループワークなどが挙げられることが多い。

出典:アクティブ・ラーニング(コトバンク)

読書について自分の経験

僕自身、中高生時代はほとんど読書をしませんでした。
読書感想文を書かなくてはいけない、という強制がかかった時だけ本を読んでいた程度。

それ以降に電車移動する時間ができ、当時はスマホなどなかったためその時間をもてあまして「読書でもしてみるか」くらいの軽い気持ちがスタートでした。

読み始め当社は難しい本にも手を伸ばすが、すぐに居眠り状態。少し軽めの小説に手を広げつつ、世界的なベストセラー本に出会う。
ストーリーが面白いのでのめりこみ、電車内での読書が習慣となる。

もともと授業での日本史に楽しさを感じていたこともあり時代小説にも手を広げて行く。
気がつけば、ビジネス書や技術書、何でも読むようになっていました。
読書場所も電車だけではなく、就寝時の布団の中や旅のお供など。
今、思い返すと母親が活字中毒だったことも遠因である気もします。

僕自身は米国の大学生のように、課題図書で睡眠時間を削ったことはありません。
社会に出てから、仕事に必要な情報収集という義務的読書が発生したが、相当難解なものでなければ未知の領域の読書も、比較的楽しめました。
自分の母親同様、どこかで活字中毒者に切り替わった恩恵かとも思っています。

本は最強の武器であり娯楽

「趣味は何ですか?」と質問された時に、いつも答えに悩んでしまいます。
「ありません」とか「趣味を探すことです」的な回答もあるが、うまく表現できないための逃げの回答。
そもそも「趣味の定義」自体が個人差があるので微妙な質問とも思えるのだが「楽しい」と思うものは?という問いでは「読書」は最筆頭。

僕自身は元ライフネット生命の出口 治明さんのように正座をして読書をするような殊勝なタイプでないです。
ですが、出口さんのような「本の虫」の方のの意見は同感する事が多いです。

 

人生の時間は長短あるが有限で、その時間を何に使うかというなかで現代は「スマホ」が大きなポイントかもしれません。
スマホで読書もできるし、様々な情報へアクセスもできる。読書好としては、一概にスマホNoでもない。
が時間を浪費してしまうことも多いツールであることも強く感じます。

一般イメージどおり以下のデータからは読書をする家庭環境では、やはり親の読書習慣が相関関係にあるらしい。

「子どもに本や新聞を読むようにすすめている」と学力の関係
「子どもが小さいころ、絵本の読み聞かせをした」と学力の関係
出典:全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究 (国立大学法人お茶の水女子大学)

このデータの注意点は以下との事。

「読書をしているから子どもの学力が高い(因果関係)のではなく、あくまで学力が高い子どもが読書している(相関関係)にすぎない可能性がある。」

上記はひとつのデータですし、読書にデメリットがないとも言いませんが、読書には圧倒的なメリットがあると思っています。
本によって得られることや救われること、何より楽しめるものであり人生を豊かにする一つの方法だと思っています。

Aという思想について賛成/反対いろいろあるが、A思想を出発点としてB思想に展開していく流れが哲学にはあります。
書籍は哲学に限らず全方位的に古今東西の偉人の思想、積層に触れられます。
しかも数千円前後の安価で。

長い年月に耐えた「古典」と呼ばれるものはその存在自体が重い。
たとえば約2,500年前のアリストテレス『弁論術』の3要素「エトス(信頼)」「パトス(共感)」「ロゴス(論理)」が現代でも通用するどころか、情報化社会の中でますます重要度が増している気がします。

他人に強制する事はないが、自分の子供に読書家になって欲しいか、と問われれば間違いなくYesと僕は答えます。

子供は親の「小言」ではなく「背中」を見て育つ、と自分に言い聞かせています。
子供にはできるだけ読書する姿を見せつつ。
僕個人としては読書は楽しんでいるだけなのですが。