なぜ悪口が子どもに悪影響をあたえるのか

スポンサーリンク
育児・子供観察

ささいなことでもつい、悪口が口から出てしまう。
しかも実際にあったこととは無関係の内容に転化してしまう。
人間は自分の色メガネで、世界を見る性質があります。
「投影」という心理を認識しておくと、違う世界が見えるかもしれません。

スポンサーリンク

ある児童館でプラレール遊び

複数の親子が集まるある児童館で、かなり大規模にプラレール遊びをする機会ががありました。
その児童館では、プラレールはいつも遊べるものではなく、特定の日時のみのイベント。
子ども達は相当楽しみだったようで、10組弱の親子がその場に集まっていました。

縦横10メートル以上の広さの部屋で、たくさんのレールをつなげる。
1人で作るのではなく、みんなで協力して思い思いにレールをつなげる。

交差する部分などは、陸橋形式。
部分部分がつながりそうになったら、ちょっと強引でもがっちゃんこ。
意外とプラレールの線路は融通がきくのだなぁ、と遠巻きに見ていました。

僕が参加していない理由は、もうかなりの部分で人が多かったためです。
そして子ども優先が基本。
僕は部屋の壁際から、全体を眺めていました。

線路設営が完了したら、子ども1人1台、好きなプラレールを借りる。
笑顔で受け取り、早速、走らせる。
ドクターイエローなどの人気車両はすぐに借りられます。
人気車両は使用頻度が高く、モーターが弱っていて速度が遅い、というのも始めて知りました。

たくさんの子どもがいるので、電車のぶつかりも当然、発生する。
基本はどちらかの子どもがジャンプで回避、だいたいは年齢が高い子がやります。
それでも時にはぶつかったり、子ども同士で譲らない場面も出てきます。
そうした時には親や児童館の担当者が仲裁。

ワイワイガヤガヤ。
規定時間いっぱいまでみんなで遊んで、お片付けです。
終了がイヤな子どもがダダをこねるのもいつもの風景だと思います。

 

自分の子どもに向かって他人の悪口をいう

その児童館では、プラレール遊びの部屋の隣が図書室。
絵本から小学生向けの本などが置いてある部屋があります。

僕と僕の子どもはプラレール遊び終了後、図書室で絵本をパラパラやっていました。
そこに先ほど一緒にプラレール遊びをしたある親子が入ってきました。
われわれから少し離れた場所で、座って読書のようです。
ここではそのママさんをAさんとします。

Aさんは自分の子どもに向かって「Bくんとイロイロぶつかっちゃったねー」と言いました。
そこまではありきたりの話なので気になりませんでしたが、以下の発言がひっかかる。

「それにしてもB君ママ、まったく我関せず。
あんな母親のところの子どもとつきあっちゃダメだよー
着ている服もユニクロだし、どうせたいしたことないねー。」

一応ことわっておきますが、ユニクロの悪口ではありません。
そういう発言があったというお話です。

たしかにAさんの子どもとBくんはプラレールでぶつかって、少し険悪ムードになりました。
その時Bくんママは壁際でスマホを見ていました。
そしてその時の仲裁は児童館の先生がやっていました。

 

他人の悪口のデメリット

他人の悪口のデメリットはイロイロなところで言われているので、今更感があります。
一応、箇条書きします。

  • 他人を見下す・悪く言うことに対するハードルが下がる
  • 減点思考になる・否定が当たり前と思っていしまう
  • 陰口を言うことがおかしいと思わなくなる
  • 他人への尊敬力が養われない
  • 親の視点の押し付け
  • 子どもの自分で考える機会・経験損失
  • 子どもが迷う、ゆだんだ視点になる
  • 自分と思想の違う人を受け入れられなくなる
  • 問題回避・問題を正面からとらえなくなる

ザックリまとめると「社会性低下」が問題といえます。
無理やりメリットを考えたところ「競争心を養う」ですがやはり苦しい。
デメリットだらけと、僕は考えています。

陰で悪口を言うのは、言い換えると「自分が受容できない何か」があるということ。
他者を受け入れられていれば、視点が間違っていることに気づくはずです。

たとえばその物事が自分ではなく第三者者同士の話だったら「そうじゃない」とたいていの人は気づけます。
それが当事者になると、つい悪口として出てしまう。

これは心理学的に「投影」と呼ばれます。

 

心理学的の「投影(投射)」

「投影」とは、自分の中の自分が認めたくない部分を相手に映し出していること。
恐怖やおびえ、嫉妬、見下し、自分が我慢していることをサラっとやられるなど。

自分が我慢していることや、こうなりたいという理想像があるが実際はできないことはあります。
「痩せたい」と思っていてもなかなか現実にはそうならず、痩せている人を違う点でバッシングする。

本質的には間違ったことと分かっているが、自分の負の部分を直視するのはツライ。
こういう時に事象と無関係でも「あいつはダメだ」というラベルを貼って、自分を優位にする。
認めたくない負の自分を、自分以外に押し付けて、自分を保つ。

人間の防衛機能ともいえますが、根本的には自分の中の問題。
自分の中で弱い自分と戦うのではなく、自分以外に押し付けて表面上のスッキリ感を得る。

ご自分の記憶をたどってみてください。
投影しまくる人、学生時代には何人かは思い当たる人がいるのではないでしょうか。

話し合いをしない、相手の言い分を聞かない、または聞く振りをする。
相手を理解しようとスタンスではなく、頭から否定。

自分だけの「正しさ」という鎧を身に付け、自分の考えと違う人は間違っていると拒否・否定。
自分をまっすぐ見る強さを、どこかのタイミングで身に付けられなかった結果です。

等身大の自分を、そのまま受け入れる。
若いころは難易度が高いことです。

大人になっても、机上では理解できるが、実際にそうした行為を行ってしまう。
そういう弱い性質が人間にはあることを、まず認識しておく。
そして子どもへ悪影響となるということも把握。

子どもは親の言葉や行動をしっかり見ています。

 

 

この本は河合隼雄先生による1967年の著作です。
「自己実現とは自分の中の劣等な部分を見直し、それを統合して行こうとする努力である」
投影の派生として「投影の引き戻し」についても記されています。
「投影の引き戻し」とは、自分が否定したものの中に、自分が認識していなかった良い面を見出すこと。

 

さいごに

僕が20代の頃は、髪の毛をしきりにさわる男性の若者をみて「だれも君の事をみていないよ」と思うこともありました。
いま考えれば、自己満足に浸っている人への嫉妬・否定という、自分の心の中の投影。
その若者には何の非もなく、僕自身が「自分が正しい」と思い込んでいるバカモノです。

歳をとって、こうし考え方自体がすでに微笑ましいなぁ、と思えるようになりました。
若いときは視野が狭く、何かのきっかけなどで、ゆっくりと変化していく。
視野が広いほど人生は楽チン、ということを、いまは腹オチで理解できています。

コレを子どもに伝える・・・難題だと思っています。

ではでは

 

◆今回のまとめ◆

自分が見たいように現実を捻じ曲げてみる投影
人間がだれしももっている弱い性質
視野が広いと何かと有利です