小さな子どもと母親が自宅にいるところに、テレワークで父親が在宅勤務になる。
コロナウイルスによって、テレワーク(在宅ワーク)が加速しました。
この変化に家族というチームで適応できるのか、関係を悪化させるのか。
コロナは世界も一変させましたが、家族の未来も変えます。
コロナウィルスにかかったらと考えると
自分が独り身なら、死んだとしても大きな影響はない。
達観ではなく、ぼんやりレベルですが、僕が独身時代はこんな考えで生きていました。
親より先に死んだら親には申し訳ない、くらいの気持ちはありましたが。
それが、家族ができると「少なくとも自分勝手に死んでも良い」とは思えなくなりました。
ただし、これも自分の中で矛盾している想いもあります。
僕は、自分の死を決める権利は、個人にあると考えています。
パワハラなどの本人意思ではない外部環境で自死は論外ですが、本当に考え抜いて死を選ぶのはその人の権利だと考えています。
しかし、家族ができると「残された家族」という判断材料が生まれる。
自分勝手に死ぬのは、残された家族への影響、悲しい想いをさせてしまわないか。
奥様側が本心から「死んだ方がまし」「早く死んでほしい」と思われている夫は、ひとまず置いておきます。
今回のコロナ事象でも、どこかの段階で言われ始めた「ご自身もそうですが、自分の家族を守るために外出を控えてください」。
そういわれると、子どもを持つ身として、僕は何段階か警戒レベルが上がりました。
自分が死ぬのは良いが、自分がコロナウィルスを持ち帰って、子どもがそれに罹患して命を落とす。
全員がテレワークができるわけではないので、自宅で業務ができる人の大半は、いまは出社禁止になっていると思います。
しかし、リモートワーク環境が整っていない、対面でしか仕事にならない業種の場合は悩ましい。
仕事をせずに、収入が途絶えて、生活できなくなるのは良いのか。
この判断は現環境において、一般家庭で最大の難問だと感じます。
僕はたまたま、テレワークで仕事ができる状況だったため、想像の域を出ません。
僕は僕の奥様とこの難問を話したとき「われわれがもし、出社を求められたらどう判断したのだろう」と、二人で黙り込んでしまいました。
テレワークの加速
「どこででも仕事ができる」環境が、近年徐々に浸透してきていました。
僕の周りのコロナウィルスが流行する前も、1割程度の人は企業に所属しながら、会社に出社する義務がありませんでした。
それが、今回のコロナウィルス影響で「テレワーク」が一気に加速。
僕はそれまで「テレワーク」の意味を知りませんでしたが、いまは頻繁に見聞きするようになりました。
どれくらいの人気検索キーワードか、ここ1年のGoogle Trendsの結果が以下です。
出典:「テレワーク」の検索キーワード人気(Google Trends)
グラフの見方は、100だとキーワード人気度が最高、よく検索されているという事です。
予想通りですが、直近は100でホットワードです。
先ほども書きましたが、僕は今回のコロナ対策で、テレワーク業務(在宅)になりました。
その自宅に、いまは僕の奥様と、登校・登園がNGとなった、子どもがいます。
僕の奥様と子どもは、ここしばらく、春休みもあり自宅にいました。
そこに、これまで平日は不在だった父親がいる。
日常が一変したと言って良い環境変化です。
ママへの負担増
専業主婦の方や、育休中のママさんは、365日24時間に近いレベルで、子どもと一緒にいます。
僕はバカオヤジの典型例通り、わが家に子どもが生まれる前まで、それを「たいしたことがない」と思っていました。
「自分の子どもといるくらい、子どもと適当に遊んでおけばよい」とか「自宅にいる時間が長いので、自分の時間は簡単に作れるでしょう」と。
子育てを経験した僕が、当時の僕に声をかけるなら「何にも分かってないお子ちゃま」です。
子どもが小さいとき、子育てに家事をするだけで、いかにギリギリの状況になるのか。
僕も週末、意識して子どもと1日一緒にいる状況を作りました。
子どもと2人だけで1日、外出して遊んでくる。
そうすると、子どもがいかに自分の思い通りにならないか、身に染みてわかります。
また、子どものペースに合わせるのは当然で、自分より子ども優先。
これを毎日、朝から夜の寝かし付けまでやるとなると、起きている時間の大半が子どもと一緒。
もちろん、子どもの寝かしつけの時に、時に子どもより早く寝落ちするのは日常。
子どもといて楽しいことや感動する瞬間もありますが、時間的割合ではそれは少なめ。
もちろん、この瞬間はいましか味わえない換えがたいのものなのですが、当事者は余裕がないのはしょうがない。
そこに、平日、自宅に不在だった夫が、24時間家にいる。
精神的にも物理的にも、奥様への負担が増えると僕は考えています。
普段いない人がいるだけで
サラリーマン男性で弁当持参派は34%と、新生銀行調査結果がありました。
1/3の人が弁当持参、その大半は奥様が作っているものと想定します。
これが夫が在宅ワークになったら負担が増えるか。
自分と子どもの昼ご飯は作るので、1人増えても労力はわずか増加だけかもしれません。
お弁当を作るよりも、やり方によっては合計時間は短縮になる気もします。
ただ、これまでいなかった人が、一人いる。
夫が仕事をする部屋は別で、日中はほとんど顔を合わさないとしても、自宅内に存在している。
小中高の学校時代、クラスのだれか一人が休むだけでも、どこかしらいつもと違う空気になるような。
いなてもいても、人一人の存在感は、目に見えなくても感じるものだと僕は考えています。
最近は残業規制の時代でもあり、家族重視の思想の方も増えたので、夜ご飯を自宅で家族と食べる人も増えたと予想できますます。
と言うのも、僕含め、身の回りでこれが実践できている男性は相変わらず少ない。
それがテレワークだと、夜ご飯を家族で一緒に食べられる状況になる。
通勤時間がなくなり、夫にとっては自由になる時間が増え、家族との交流の時間として使える。
それを望んでいるかは別問題です。
変わる世界
僕はテレワークを実際にやってみて、うすうす感じていたことに結論がでました。
出社するかしないかは、仕事とは無関係。
家とお店がつながっているような自営業の方からすれば、「いまさら感」満載でしょう。
業種やIT化推進度によって差はあれど、在宅化できる業種は多いといまは考えています。
それを妨げているのは、固定観念の「家だと仕事しない」や「やっぱり顔を合わせた方が仕事がはかどる」の幻想でした。
あるいは、旧態依然のシステム踏襲、典型例は「書類の押印」です。
僕は会社に出社していたころに比べ、在宅での仕事のパフォーマンスは、90%程度になったと状況を評価しています。
在宅経験が浅く手探り部分があってこのくらいの体感値。
現実は、パソコン越しが基本だと文字でのやり取りが増えましたが、嬉しいのは意味の薄い会議が激減。
自宅にいてもビデオチャット/音声チャットもできるので、物理的に同じ場所にいないだけで、会話も可能です。
余談ですが、女性陣はビデオチャットの「顔出し(部屋だし)」に、相当の拒否感を示しました。
在宅でも、これまでと変わらない仕事ができる、仕事が回る。
必要だと思い込んでいたものが、本当はそうでもなかった。
不必要なモノが明確になり、物事の重要度がクリアになりました。
物理的に、大きく変わったのは、あたりまですが通勤時間がゼロになったこと。
そして朝昼夜ご飯を、家族で食べるようになりました。
夜ご飯を食べたら、家族で映画を見たり、子どもと遊ぶ時間。
平日、家族と一緒の時間が、増えました。
反面、在宅ワークでマズイと思っているのが、体を動かす時間が減ったことです。
駅までの徒歩、電車内で立っている、会社で階段を使う。
これらを積み上げると、地味に一定の運動量になります。
これが在宅になると、意識しないと体を動かさなくなる。
一般家庭であれば、家がそれほど広いとは思えず、できるだけ日中仕事部屋にこもるのも環境維持として必要。
必然、食べる量を減らすか、意識してエネルギー消費をしなければ、太ります。
すでに「コロナ太り」のワードが、世の中には出現しています。
緊急事態宣言が解除されたとき、おなかが出たオッサンが増え、ダイエットグッズ系やスポーツクラブの株価は上がるのかもしれません。
何にせよ、これまでと違う日常風景。
引っ越しをイメージすればわかりますが、環境の変化は人にとってストレスです。
こうした異常事態に、家族全員がいままで以上にお互いを許容する必要性を感じます。
これも格差の1つ
人間の本性が出るシチュエーションが2つある、という話をどこかで読みました。
1つ目は、ピンチの時。
2つ目は、自分の側に正義がある時。
1つ目のピンチの時、感情的になっても良いことはありません。
そういう時は鷹揚に構え、自分でしっかり考える。
現象解像度を上げ、状況を分析し、軌道修正を柔軟に受け入れる。
今回のコロナ影響で、世界中の人が自宅にいる時間が増えました。
悪影響として、DVが増えているとも聞きました。
家族全員が自宅にいる。
数週間、閉塞状態が続き、いつ終わるかも見えない。
この軟禁のような状況を受け入れ、家族で譲れるところはゆずり、お互いを受け入れる。
イライラしやすい環境だとあらかじめ計算に入れ、いつもより何段か怒り発動タイミングを遅らせる。
夫婦のケンカや子どもどへの叱りなど、否定の応酬で家族チームを悪いムードにするのか。
これまでより少し相手を受け入れて、共同戦線に持ち込むのか。
家族が協力して、今回の山を越えられたなら、そのチームはより強固になりそうです。
ピンチを乗り越える経験と自信、それは子どもにとっても、リアルに体感できる活きる教材です。
資本主義が加速し、お金持ちはよりお金持ちになりました。
「格差社会」はお金について言われますが、家族内の関係性も人生の大切な資産。
それは、お金同様に格差が出てきます。
さいごに
危機を共有するカップルは、そう遠くない時期に破局する。
古い映画「スピード」に出てきたセリフを、僕の記憶から辿ったものです。
吊り橋効果のようなものなのでしょうか。
危機の時はドキドキで興奮、やがて平凡な日常(と思ってしまう)に物足りなくなる。
なんとなく、うなずける点もあります。
ある程度の興奮は、人生のスパイスです。
僕は、いい年齢のオッサンになって、やっと見えてきたものがあります。
京都同じ日はなく、日常をネガティブに「平凡」ととらえるかは自分次第。
コロナは世界中を、非日常に変えました。
東日本大震災が日本人に変化を促したのと同様、僕はコロナが収束したあとも、世界は元の形には戻らないと考えています。